紅蓮のをつかむ者―09
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 あれから、ハゼイとはもう少し話をして警備隊を辞した。
 夕刻までにはまだ時間がある。ハゼイから聞いた、警備隊員が襲われた場所を見て回ることになった。日没までにすべての場所を回るのは無理だろうが、できる範囲でなるべく、ということになったのだ。
 魔物が出没したという場所は、アージェ市内でも特に中心部を含めたその周辺に多かったが、警備隊員が魔物に襲われて血を吸われるという、禍々しいことが起きた場所には到底見えないほど、今は人で賑わっている。中心部には役所や商店が集中しているから人が多いのは当たり前だが、そんな通りでも、日が落ちて深夜ともなれば、人影さえ見当たらなくなる。月のある晩に誰もいない通りを一人で歩けば、夜とはいえ遠くからでも目立つだろう。
 くだんの魔物は、高く跳躍することができた。通りの両脇に建つ建物の上から、一人で歩く哀れな犠牲者――魔物にとってはその夜の餌――を物色するのかもしれない。
 そう考え、レキは建物を見上げた。しかし、建物の上に潜んでいたら、討伐隊の物見台にいる隊員に見つかりはしないか。いや、建物の上に伏せていたりすれば目立ちにくいか、とすぐに自分の考えを否定する。それに、魔物はどういうわけは討伐隊員を襲わない。それは、敢えて討伐隊員を避けているように思えた。魔物が現れたという場所も、討伐隊の本拠地からは離れていた。
 一人で夜道を歩き、なおかつ討伐隊員ではない者を襲う――警備隊員は制服を着ているから、討伐隊員と見分けることは容易い。魔物が何故そんな選り好みをするのか。やはりそれは、人に寄生していることと関係があるのだろうか。
 人に寄生して――
「ガリルさん」
 これといった会話もなく隣を歩くガリルを見上げた。
「なんだ」
 対するガリルの声は素っ気なく、視線はレキではなく周辺を向いていた。魔物が出没する場所に何か法則はないか、探しているようだった。
「魔物に寄生された人を助ける術は、本当にないんですか」
「ない。少なくとも、俺は聞いたことがない」
 討伐隊を訪ねる前も、同じ質問をガリルにしている。返ってきた答えは、そのときと同じだった。そしてその口調も。
「少なくとも、と言うのであれば、もしかしたらあるかもしれないということですか」
 しかしそれでも、ガリルの言葉の中に見つけ一言に、レキはすがりついていた。わずかでも可能性があるのであれば、なんとか助けたかった。
「……屍花(しかばねばな)、という魔物を知っているか」
 ガリルの視線は相変わらず周囲をうかがっているままだが、低い声でレキに訊いた。今までのように、即座に否定の言葉が返ってこなかったことが意外だった。
「いいえ」
 しかし、意外な返答の中にレキの知るものはなかった。花、と名前に付くからには、おそらく植物系の魔物なのだろうが、いかにも不吉な感じのする名前である。
「屍花もまた、生き物に寄生する魔物だ。魔物や獣の体内に寄生し、宿主がほかの生き物を喰らうなどして食事をする時、唾液を通して宿主が喰った生き物の死体――食べ残しだが、それに今度は寄生する。そして、その死体を養分にして、赤い花を咲かせる。死体を好む魔物や獣が、その死体の元へやって来るよう、屍花自身も死臭に似た芳香を放つ。目当ての生き物が来たら、死体が喰らわれる時に、一緒に自分も喰らわれる。そうして自分を喰った生き物に寄生するんだ。喰われたあとは体内で種子を作り、花を咲かせられる時期になるまで体内に潜み、時期が来たら食事時に宿主を離れる。その繰り返しだ」
 そうやって屍花は連綿と生き続けているのだと、ガリルは低い声で淡々と説明した。
 屍花の姿を見ることができるのは死体に赤い花を咲かせるその時だけで、名前もそこに由来しているそうだ。レキは死体に咲く、毒々しい赤い花を想像した。それはなんとも空恐ろしい光景で、考えるだけでぞっとした。
「屍花を根絶やしにする機会は、死体に花を咲かせている時だけだ。寄生している間は、それと分からない。宿主から栄養を拝借しているから、多少体調の異変はあるだろうが、その程度だ。そして、仮に分かったとしても、体内から屍花を取り出すことはできない。種子の状態でいることは分かっているが、その種子を宿主の身体から見つけられないからだ。魔力を持って、身を隠しているのだと言われている――寄生する魔物は、どれもそうだ。宿主の中にただ潜むだけではなく、追い出されないように姿をも隠す。寄生された魔物を引きはがせない理由は、それだ」
 ガリルの視線が、ようやくレキの方を向く。その眼には、暗い怒りのようなものが潜んでいた。その怒りが、レキに向けられたものなのか、それとも寄生する魔物に向けられたものなのかは、レキには分からなかった。
 レキに向けられたものだとすれば、寄生する魔物のことを知らず、知らずにどうにかならないかと言うレキの無知を咎めるもののように思えて、怖かった。
 魔物に対して無知であることは、魔物と対峙した時にこちらの不利を招くだけである。無知だからといって魔物が見逃してくれるわけもなく、人を助けられなかったことの言い訳にもならない。
 それを分かっているから、口に出してガリルに咎められることが怖かった。ガリルのはっきりとして強い口調は、レキにその無知と非力を否応なく自覚させる。
 自分の劣る面をこれでもかと見せつけられて、楽しい者などいないだろう。だが、己の無知と非力から目を逸らしたいわけではない。向き合っているつもりでいる。しかし、甘いと言われようとも、口に出されて無知と非力を咎められたら、自分が本当にそんな人間のような気がしてくるのでいやだった。
「血を吸う魔物は、屍花のような殖え方をする魔物ではないようだから、今のところは襲われた人たちも、怪我はしても無事でいる。だが、いつほかの人間に寄生するか、その数を殖やすか分からない。今のうちに退治するのが、最善の方策だ」
 被害は既に出ていて、決して少ない数ではないけれど、まだ死者は出ていない。彼女一人の犠牲で終わらせることが最善であると、言外に言っている。
「そんなの……いやですよ。魔術士は魔物を退治するためにいるんだって言ったのは、ガリルさんじゃないですか。魔物を退治するのは、人々を守るためじゃないんですか」
「そうだ。守るために、俺たち魔術士はいる。だけどな、レキ。俺たちが守る人間は、彼女一人じゃない。一人だけ守れば、それでおしまいでもないし、いいわけでもない」
 それはレキも分かっている。分かっているつもりだ。けれど、やはり納得できない。
「目の前の一人さえ助けられない魔術士は、いったい何なんですか」
 彼女は死にたくないと叫んでいた。涙を流していた。そんな一人さえ、救うことができないというのであれば、いったい魔術士は何のために、自分は何のためにアージェへ来たというのか。
「……それでも、魔術士ならば魔物を退治するしかない」
 ガリルは静かに言った。
 ガリルはもう決めているのだと、レキはその時はっきりと悟った。彼女が魔物に寄生されていると分かった時点で、ガリルは彼女もろとも魔物を退治するしかないと決めたのだ。それが、魔術士としての務めだから。
 誰かを犠牲にしなければ魔物を倒すことができないという、あまりにも皮肉なこの状況。そうする以外の方法が分からない自分が、レキには腹立たしくて仕方がなかった。
 いつの間にか握りしめていた掌には、爪の跡がくっきりとついていた。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 アージェに到着した日の襲撃以来、血を吸う魔物は現れなかった。討伐隊の前にはもちろん、レキたちの前にも、警備隊の前にさえ現れなかった。今までは五日に一度ほど現れていたというのに、それ以上の日を経ても、例の魔物に襲われた者はいなかった。
 魔物が現れないのは、本来は歓迎すべきことだ。しかし、これまでアージェの夜に頻繁に出没していた魔物が、忽然と姿を消したことは、どうにも釈然としない。
 まるで、レキたち《赤地》の魔術士が、自分を退治しに来たことを知って身を潜めたかのようだ。魔物がそれほど高い知能を備えているのか知らないが、高度な魔術を操る魔物であるし、決して知能は低くないだろうから、もしかしたらそれくらいのことはするかもしれない。
 だが、このまま魔物を放置するわけにはいかなかった。レキたちがいるから今は姿を潜めているだけで、肝心の退治すべき魔物が現れないからと言って立ち去れば、再び魔物は出没するようになるだけで、なんの解決にもなっていない。
 レキは窓から見える町並みを眺めながら、溜息をついた。ここは、レキたちが泊まっている部屋である。市内で見るべきところはほぼ見尽くしていて、昼間は夜に備えて体を休めることが多くなっていた。
 何気なく振り返ってみると、腕組みをしているガリルの姿があった。ガリルは、書状を小さな丸い机の上に広げ、椅子に座って見ている。
 討伐に出向いている間は、定期的に《赤地》の本部と連絡を取り合う。途中経過を報告するためでもあり、派遣されている魔術士の生存確認のためでもあった。定期連絡が途絶えれば、その魔術士が連絡不能な状態――最悪の場合は死亡している――に陥っていると判断し、本部は次の魔術士を派遣するのだ。
 ガリルが今見ている書状は、《赤地》から先程届いたものである。書状を見て以来、ガリルは一言も声を発していない。
「見てもいいですか?」
 ガリルが険しい表情で書状を見ているので、内容が気になった。定期連絡の内容は、こちらの進行状況の報告と、それに対する本部からの簡単な労いの言葉が主なので、本部からの書状には大した内容はいつもは書かれていないはずだ。それを、ガリルがうなり声をあげそうな顔で見ているということは、なにかしらいつもとは違う内容なのだろう。
 ガリルが許可をくれたので、レキは横から書状をのぞきこんだ。レキも関わっている任務のことなので、いちいちガリルの許可を取る必要はないはずだが、ガリルが一心に見つめていたのでつい許可を求めたのだ。
 書状を見て、レキは目を丸くする。書状には、二十日近く滞在してそれでも成果が上がらないのであれば、一旦アージェを離れて本部へ戻れと書いてあった。それが異例の指示であることは、内容からも思い悩むガリルの姿からも明らかだった。
 《赤地》が《赤地》たるゆえんは、魔物の討伐を、己に課せられた最重要の使命として掲げているからだ。そして、《赤地》の魔術士たちはそのことを教え込まれる。その《赤地》が、魔物を放置して戻ってこいとは――少なからずの衝撃を受ける。
「ガリルさん……!」
 椅子に座るガリルを見た。ガリルが、渋面をつくって重々しく頷く。
「まだ人死にがないから、とりあえず一度破棄することにしたんだろう。もっと逼迫した要請が、本部に来ているのかもしれない」
 ガリルの声は苦々しかった。《赤地》の教えの最たる実践者であるガリルが、魔物がいると分かっているのにそれを背に向けることは、到底考えられないことに違いない。
「どう、するんですか……?」
 レキはおそるおそる尋ねた。ガリルが何と答えるのか、予想できない。予想はできないが、もしかしたら指示を無視するかもしれない。任務先で、周囲の制止の声を振り切り早々に討伐を始めるのが、ガリルだ。しかし、それは命令ではなく、ガリルのことを思っての人々の親切心である。結局、予想はできなかった。
「退治すべき魔物が現れないんじゃ、どうしようもない」
 深い溜息と共に、ガリルが吐き出す。悔しさをにじませたガリルの声は、レキが聞いたこともないほど重々しく、そのままずっしりとレキにのしかかってくるような気がした。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 少ない荷物をまとめるのに、それほど時間はかからなかった。二十日分の宿代を支払うと、その足で討伐隊へ向かう。
 討伐隊の要請を受けて来たのだから、帰る旨を伝えなければならなかった。
 任務を途中で放棄することは、レキにとってはこれが初めてとなる。しかも、肝心の魔物が出ないから、という理由となると、《赤地》にとっても稀なことだろう。魔物が予想以上に凶暴で手に負えないため、一旦退いて体勢を立て直してから改めて、ということはあるが、魔物の退治そのものを諦めることは前代未聞と言ってもいいのではないだろうか。
「一度、リジュネイへ戻る」
 リジュネイは、《赤地》が拠点としている街だ。そこへ帰ると言った時のガリルの苦々しげな表情。悔しさを隠しきれない声。任務を果たせなかったという悔しさや情けなさ、それもあったが、レキはそれ以上に、ガリルが戻ると言ったことに呆然とした。
 魔物退治に熱心なガリルが、《赤地》からの指示とはいえ、まさかそれを諦めると言い出すなんて――
 ガリルがどう判断するか予想できなかったが、どこかで指示を無視すると思っていたのかもしれない。そうでなければ、これほどガリルの判断に驚くことはなかっただろう。
 そして、レキは気付いてしまった。
 リジュネイに戻ると聞いた時、驚くと同時に、わずかに安堵した自分に気付いてしまったのだ。魔物に寄生されているであろう彼女ごと、魔物を倒すことがなくなったことを安堵したのだ。魔術士として、そう考えることは間違っているだろう。けれど、今でも彼女を救う術がないか、ないとしても彼女ごと魔物を倒すことに抵抗を覚えるレキは、確かに安堵していた。そんなことを考える自分を嫌悪しながら、ガリルの判断に驚きつつも素直に従った。
 討伐隊へ向かう足取りは、ガリルもレキも重い。ガリルは無念さから、レキはそれに自己嫌悪も加わって、足を引きずるような気持ちで討伐隊の門をくぐった。
「あれ、どうしたの二人とも」
 荷物を抱えて現れたレキとガリルを見たクロエは、最初に二人がここを訪れた時と似たような表情を浮かべた。すぐにレキたちの間に漂う重い雰囲気を感じ取り、何事かと首をかしげるクロエに、ガリルがやはり最初に来た時と同じ、リソルへの面会を求めた。クロエは訝しがりながらも、同じ応接室へ案内してくれた。
「吉報……というわけではなさそうですな」
 ドアを開け、顔をのぞかせたリソルの表情がかげる。レキたちが再び討伐隊を訪れるのは、大概は良い報せか悪い報せを持ってくる時だけだ。今回は後者だと、室内の雰囲気からすぐに察知したらしい。
 しかし、リソルはすぐにかげりを振り払い、先日と同じようにレキたちの向かいの椅子に腰掛けた。
「頼ってくれたのに、力になれず申し訳ない」
 リソルが座るなり、ガリルがそう切り出して、座ったままだが深々と頭を下げた。レキが初めて目にする、ガリルの敗北宣言だった。

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