紅蓮のをつかむ者―08
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 クロエが呼んできた担当者という男は、リソル・マイドゥッカという、三十代後半のがっしりとした体格の男だった。身長はガリルよりも少し低いようだが、肉付きはガリルよりもいい。リソルは、魔滅士なのだろう。
 魔術士は魔術を主として魔物退治をするため、当然磨くのは魔術の腕だ。魔術の向上と術士の肉付きにはなんの関係もないから、魔術の腕が上がったところでそれが見た目に表れることはない。一方、己の肉体と技術が頼りの魔滅士は、肉体と剣の腕を磨き、鍛えた分だけ表れる。防具を付けていても、その体格を見れば魔術士か魔滅士かの区別はつくのだ。それでも、魔物相手に戦うのに貧弱な体付きをした魔術士というのはいないから、一般人よりは魔術士とはいえ鍛えられた身体をしている。
「お待ちしていました」
 リソルは簡単に自己紹介をすると、レキとガリルの向かいの椅子に座る。
 彼はアージェ討伐隊第三班の班長で、例の魔物に最初に襲われたのが彼の部下であったため、そのまま担当となったそうである。しかし部下の仇であるその魔物に手を焼き、《赤地》に助けを求めたのだそうだ。
「いったいどうしてなのか、魔物は最初の襲撃以来、二度と討伐隊員の前には現れない。そして、襲った相手を決して殺すことはない――こんな奇妙な魔物は、魔滅士になって二十年近くなるが、初めてですよ」
 リソルはほとほと困ったという顔で、溜息をついた。最初に襲われたリソルの部下も、血は吸われたものの、今は職場に復帰しているという。
「実は、昨夜その魔物と遭遇しましてね」
 ガリルが言うと、リソルは初耳だと言わんばかりに目を見開いてガリルを見た。
「警備隊の隊員が一人、襲われました。確かに、喰らう様子もなく奇妙に感じましたね。なにより――」
「警備隊が襲われていたって? そんな報告は来ていない!」
 ガリルの言葉を遮るように、リソルは憤った声を上げた。ガリルがなにか怒らせるようなことでも言ったのだろうかと思ったが、そんなことはないはずだ。要請を受けて来た《赤地》の魔術士が早速仕事を始めたのだ。怒るはずがない。ガリルもやや面食らった顔で、リソルを見ている。
「あの」
「いつもそうなんですよ、警備隊の連中は。市内はおろか、周辺で連中が魔物に遭遇したとしても、報告してきやしない。彼らが退治する分には、それが可能ならば構いませんよ。我々が退治する方が、的確で早いですけどね。しかし、アージェの討伐隊は我々じゃないですか。アージェ周辺にどんな魔物がいて、いつどこにどれだけの数の魔物が、どんな風に現れたか把握する必要がある。魔物をよく知ることが、討伐をよりやりやすくすることに繋がるし、市民を安全に守ることにも繋がる。それなのに、警備隊の連中と来たら! 『仕事の一環としてやったことを、逐一報告する義務も必要もない』と言う始末。連中は、自分たちだけでアージェを守っていると思い上がっているし、その手柄を独占したいんですよ」
 リソルは唾をまき散らしそうな勢いで、一気にまくし立てた。どうやらかなり、警備隊に対して不満があるらしい。
 討伐隊と警備隊の不仲は、珍しいことではない。討伐隊は当然、魔物を退治する技術を身に付け、そのために日夜訓練に励み魔物を見つけては退治をしている。一方の警備隊は、街の治安を守ることが主な仕事であるが、魔物を見つければ警備隊もその場で退治する。それだけの技量はあるし、魔物を見つけたら早急に排除することが推奨される。非難されることではない。
 しかし、討伐隊と警備隊の不仲の原因はここにある。リソルが言うように、警備隊が魔物を退治したことを討伐隊に報告しないことが、討伐隊には不満なのだ。そして、警備隊は逐一報告しろと言われることが、不満なのである。
 もちろん、協力し合っている討伐隊や警備隊も多い。討伐隊と警備隊の不仲は、アージェのように比較的魔物が少ない地域で起こりやすい問題だった。
 ガリルが小さく溜息をついたが、幸いなことにリソルはそれに気付く様子もなく、アージェ警備隊への積もりに積もった不満を、ここぞとばかりに話し続けた。例の魔物を一向に退治できないという苛立ちもそこにはあり、リソルの愚痴は尽きることがないかのように延々と続いた。

 ◆ ◆ ◆ ◆

「長々とごめんなさいね」
 クロエが苦笑いを浮かべて、レキとガリルに謝った。
 ようやくリソルから解放されたのは、昼時になってからだった。朝食はやや遅めだったものの、リソルの不満や愚痴を聞いて精神的にくたびれたのか、それほど動かしていなかったというのに、体は空腹を訴えていた。そして久しぶりに再会したのだからせっかくということで、レキはクロエと共に昼食を食べることになった。もちろん、ガリルも同行する。ガリルはリソルから結局愚痴しか聞けなかったので、クロエから情報を得ようという魂胆があるようだったが。
「そんなことないよ。ねえ、ガリルさん」
 レキはなんとか取り繕うと笑みを浮かべ、ガリルに同意を求める。
「討伐隊と警備隊の不仲は、珍しい話じゃない。俺は、住民を魔物から守ってくれるなら、どちらが魔物退治をしようと構わないと思うがな」
 ガリルは討伐隊と警備隊の不仲には興味なさそうな声を返すだけで、クロエがますます苦笑いを浮かべた。
 ガリルは魔物を退治できればそれでいいと考えているようだが、レキは討伐隊と警備隊が協力すれば魔物退治もよりやりやすくなるだろうから、不仲よりは仲良くした方がいいと思っている。そう思ってはいるのだが、どうすれば二つの組織が仲良く協力し合えるのか分からない。魔物が多ければ協力せざるを得ないが、魔物は多いよりも少ない方がいい。しかしそうなるからこそ、対立が起きるのである。レキには、良い方策を思いつけなかった。
「わたしもそう思うけれど、なかなかそうは思わない人が多いから……リソルのように経験の長い魔滅士ほど、縄張り意識が強いみたい」
「自分の仕事に対する誇りがあるからな。気持ちは分かる。が、それに固執して住民の不利益になるようなことをするのは、愚かだ」
 ガリルの口調はにべもないが、クロエは彼の言い分に納得できるのか、頷いていた。
 レキも、顔を小さく縦に振っては見たが、正直なところまだレキにはなんとも言えないところがある。魔術士となって日が浅いレキは、自分に与えられた任務を確実にこなすことに必死だ。目の前の魔物を倒すことが精一杯なのだ。その場に魔術士でも魔滅士でもない人がいて、彼らを守りながら戦わなければならないとなると、手に余りそうに感じることもある。常に全力で魔物と対峙していて、誇りだとか感じる余裕はない。全力でもってしても力が及ばないこともある今のレキでは、誇りではなく情けなさを感じることの方が圧倒的に多かった。何故自分はもっと強くなれないのか。何故守れなかったのか。何故、何故、何故――
「あなたは、魔滅士なのか?」
 レキが自問の海に沈もうとしていたら、ガリルがクロエに尋ねていた。クロエが魔滅士なのかどうか、実はレキも気になっていたのでそう簡単には答えの出そうにない問いを自分に向けるのはやめ、クロエの答えを待つ。
 クロエはどうやら受付を担当しているようだが、討伐隊に所属しているほとんどすべての者が魔術士・魔滅士というところも少なくない。
「元、魔滅士よ」
 クロエはどこか自嘲めいた笑みを浮かべ、元、という言葉を強調した。
「元?」
「そう。四ヶ月くらい前、討伐中に大怪我を負ってしまって魔滅士は引退。もう剣が握れないの」
 そう言って、クロエは利き手の右手で拳を作って見せた。指は動くが、強く握りしめることができないらしい。かつてレキの手を引いてくれたその手が、今はひどく弱々しく見えて悲しかった。
「怪我は治ったけど握力がずいぶん落ちて……軽い物は持てるけど、重い物は無理。医術師の話では、回復する見込みはないそうなの」
 だから、魔滅士は続けられなくなっちゃった――クロエは半笑いした。レキも、クロエに魔滅士なのか尋ねたガリルも、返す言葉は出てこなかった。
 魔物と戦うという仕事は、常に怪我や死という危険がつきまとう。魔滅士は、魔物がはびこるこの国では必要不可欠な職業である。しかし、危険を冒して魔物と戦いたいと思う者はそれほど多くはない。身内や友人が魔物に殺されたとしても、いやだからこそ、魔物は恐ろしく自分が敵う相手ではないと思い、魔滅士になることをためらう。しかしその反面、魔滅士を志す者は、危険を顧みず魔物と戦ってやろうという決意が強い。強いからこそ、クロエのように任務中の怪我が原因で、復帰することができなくなった魔滅士の落胆は深い。
 魔術士であるレキとガリルには、クロエのその無念さが分かるからこそ、何も言うことはできなかった。せめて生きて帰れて良かった、と軽々しく言うこともできない。生きて帰ることができても、その後魔滅士として生きることができないのでは、魔滅士としては死んだも同然なのだ。
 それでも、クロエは討伐隊に残ることを選んだのだと思うと、ますます彼女に返す言葉は見つからなかった。もはや魔滅士ではなくなった彼女は、それでも少しでも討伐の役に立ちたかったのだろう。どんな思いで剣を携(たずさ)え討伐へ向かう仲間を見送っているのか、レキには想像もつかなかった。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 警備隊の本部は、アージェの中心部からは東よりの場所にある。
 討伐隊の物見台が見え、そこにはやはり見張りを続ける隊員が立っているが、先程レキたちが見た彼と同じ隊員かは、この距離からでは分からなかった。
 クロエとの昼食を終えたレキとガリルは、店の前でクロエとは別れ、その足で今度は警備隊へ向かった。討伐隊ではほとんど愚痴しか聞くことができなかったし、被害者の大半は警備隊員であるから、元々警備隊も訪ねることにしていたのだ。
 いかにも頑丈そうな、大人の背丈の三倍ほどはある高い壁に囲まれた警備隊本部の門の前に、二人の隊員が立っていた。濃い青色の制服を着て、直立不動で前を見据えたまま微動だにしないので、遠目には同じ姿形をした人形が立っているのかと見まごうほどだが、近寄ればそれぞれ全くの別人だと分かる。動かないことに変わりはないが。
「警備隊に何の用だ」
 警備隊員でもないのに帯剣しているレキとガリルが門の前で足を止めたので、そのうち一人が、いかにも横柄な態度で顔をこちらに向けた。アージェの討伐隊には決まった制服はないうえに、昼間でも剣を持ってウロウロしている者の存在は限られてくる。《赤地》にも制服はないから、討伐隊員だと思われたのかもしれない。
 その警備隊員の口調と険しい眼差しを見るだけでも、いかに二つの組織の仲が悪いのかがうかがえる。アージェで暮らしていた子供の頃はそんなことを意識したこともなかったが、正体不明の魔物が跋扈(ばっこ)している今の時期では、この険悪さが気になった。
「俺たちは《赤地》から派遣された魔術士だ。血を吸う魔物について詳しい話を聞きたいんだが」
「《赤地》の――」
 《赤地》という単語が、警備隊員の態度をやや軟化させる。
「しばらく待っていてくれ」
 その隊員はそう言い置いて、もう一人の隊員に目配せをすると、門を開け、駆け足で建物に向かった。門は残ったもう一人がすぐに閉めたので、門前で待たされることとなってしまう。態度はいくらか軟化したものの、そう簡単には中へ入れてくれないらしい。
 ここでも、ガリルが軽く溜息をついていた。レキはそんなガリルを横目で見、残った隊員を盗み見、そして不安を胸によぎらせる。ここでも愚痴を聞かされたらどうしようか。
 リソルの愚痴で、もうお腹はいっぱいなのだ。

 ◆ ◆ ◆ ◆

「《赤地》に助けを乞うた、という噂は耳にしましたが、まさか本当だったとは」
 門番をしていた隊員よりもいくらか階級が上の、年の頃はリソルと同じくらいの男が溜息混じりに言った。
 門前で待たされ、ほどなく中に招き入れられて連れて行かれた先が、今の小部屋である。やはり応接用らしい造りで、部屋に案内されて更に待たされることしばし。現れたのが今目の前に座る男で、彼はハゼイ・ジェンダと名乗った。
「まあ、あれには我々も手を焼いているので、ありがたくはあるのですが……」
 ハゼイはうつむき加減に話していたが、そのとき彼の視線がほんのひととき、レキの方を向いたのを見逃さなかった。その目に、疑いの色が浮かんでいたことも。
 無理もない。ガリルに比べれば見劣りする体付きなのだ。歳も、自分で言うのは嫌だが、若いと言うよりもむしろ幼い。リトラでは、成人と認められるのは十八歳。レキが成人として世間的に認められるまでには、まだあと一年以上はかかる。アージェの治安を、多分レキが生まれる前から守っているハゼイからすれば、自分たちでも倒すことのできない魔物を、こんな小娘が退治できるのか疑わしいのだろう。
「《赤地》が任務に失敗して、魔物を取り逃がした事例はほとんどありませんのでご安心を」
 ハゼイがレキに向けた疑いには、ガリルも気が付いたのだろう。
 ガリルが言ったことは嘘ではない。少なくともレキが知っている限りでは、《赤地》が退治を要請された魔物を倒せなかったという話は聞いたことがない。ただ、常に犠牲が出なかったわけではない。ある魔物を倒すために、数人の魔術士が命を落としたこともある。シキも、そうやって命を落とした一人だった。
「それは頼もしい。街の安全を我々だけで守れなかったのはお恥ずかしいが、よろしくお願いします」
 ハゼイは座ったままではあるが、深々と頭を下げた。丁寧な口調で、リソルのように相手への愚痴をまくし立てる様子がないのはありがたいが、言葉の端々に、討伐隊をあてにしていないであろうことが感じられた。
「俺たちとしても、いつまでも魔物をのさばらせておくつもりはありません。そのためには、魔物についての情報が必要となる。くだんの魔物の犠牲者は、警備隊員に多いと聞きましたが」
「そのとおりですよ」
 顔を上げたハゼイは、表情を曇らせる。
「深夜、市内を巡回しているところを狙われているようです。いずれも、一人で歩いている者が襲われています。それで、複数名で巡回させたこともありますが、そうしたところ、深夜一人で歩いていた市民が立て続けに襲われました。魔物は、必ず一人でいる者を狙うようです。それで、我々は複数名での巡回をやめざるを得なかった。守る立場の我々が、安全圏にいるわけにはいかないですからね」
 警備隊員が一人で巡回したからといって、必ず警備隊員が襲われるわけではないだろう。それでも、一人歩きする市民が襲われる確率が減るのであれば、警備隊は単独で巡回する方を選ぶ。自分たちが、アージェを守る。討伐隊が思うのと同じように、警備隊も思っているのだ。
 それにしても、話を聞けば聞くほどくだんの魔物は奇妙である。およそ魔物らしくないのは、襲った人を決して殺さない点からして明確であるが、そのほかにも魔物らしくない点はある。
 明らかに、襲う人物を見定めている。
 深夜、巡回をするのは何も警備隊ばかりではない。討伐隊も巡回しているはずだ。警備隊に比べれば人数の少ない討伐隊では、一人で巡回しているはずだ。その討伐隊では、たった一人しか襲われていないのである。相手を選んでいるとしか考えられない。けれど、あれほど身体能力が高く、魔術も操ることのできる魔物ならば、二人いたところで造作もなく相手を圧倒できるのではないだろうか。
 警備隊に魔術士はほとんどいない。よその国では魔術士は必ずしも魔物退治をする人間を指すわけではないらしいのだが、リトラで魔術士といえば、魔物退治に従事する者を指す。魔力を持つ人間で、魔物退治に関わりを持たない者はほとんどいない。そのため、警備隊に魔術士はほとんどいないのだ。
 くだんの魔物は、レキとガリル、二人の魔術士がいても取り逃がしてしまうほどだ。その魔物にとって、魔術士かも知れない討伐隊員でもそうではない警備隊員でも、狙う獲物としてはそれほどの差異はないはずだ。一人歩きしている、それも警備隊員ばかりを襲う理由が何かあるのだ。しかし、それがいったいどんな理由であるかは見当がつかない。
 そして、あの魔物がほかの魔物となによりも違っているところ。人と変わらぬ姿で、人の言葉を話す。そんな魔物を、レキは見たことがなかった。ガリルは、魔物に寄生されているのだという。ならば、あれは魔物に取り憑かれていようとも、紛れもない人間ではないか。魔物らしくない振る舞いをするのは、人間に寄生しているからなのか、寄生したのが人間だからなのかは、分からなかった。
「襲われた場所は、市内ですか?」
「市内です。一の壁の外で襲われたという話は聞きません。昼間は市内に身を潜めているのか、深夜は入り込んでくるのかは分かりませんが、現れるのは必ず市内です。それも、中心部で襲われることが多い」
「中心部、ですか」
 ガリルがわずかに眉をひそめる。アージェを取り囲む壁の堅牢さからすれば、人を襲うたびに外から侵入していては、見張りをする警備隊員に見つかる可能性が高くなる。その可能性を減らすために、ずっと市内に身を潜めていると考える方が妥当だろう。それも、人の多い中心部近くに。
 早急に魔物を退治しないと、いずれ本当に大事になってしまう。
「人以外で、例えば家畜が襲われたということはありませんか」
 ガリルが質問を重ねる。ハゼイは首を横に振った。
「少なくとも、わたしはそんな話を聞いたことがない。襲われるのはいつも、人間です。それも、ほとんどが警備隊の――口さがない者が討伐隊の仕業ではないかと言い出すほど、襲われているのは警備隊員ばかりなんですよ」
 馬鹿な噂もあるものだとレキは内心で呆れたが、仲違いしている内の片方にしか被害が出ていないのであれば、相手を疑うこともあるのかもしれない。しかし、よりによって魔物を退治する討伐隊の仕業だという噂は、アージェの討伐隊員ではないレキが聞いても不愉快だった。この噂をリソルが聞けば、激高するだろう。
「……あれは魔物です。昨夜遭遇しましたが、間違いない」
 ガリルの言葉は、警備隊員の愚かな噂やレキの迷いをあっさり斬り捨ててしまうような響きを持っていた。やはり、ガリルはあれが魔物であると微塵も疑っていないのだ。人に寄生する魔物だろうと言ったのはガリルなのに、寄生された人を含めて、彼はあれが魔物だと断言している。
 レキは、彼女を救う術はないのかと問う隙を、ガリルの口調に見出せなかった。

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