紅蓮のをつかむ者―04
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 これまで爽やかだった風に、生臭い血の臭いが混じって流れてくる。早く退治をしないと、血の臭いに引き寄せられて更に魔物が集まってくる。そうなれば、しばらくの間はこの街道は封鎖しなければならない。
「あそこか」
 成長途中の足を懸命に動かしてレキも走っているのだが、手足の長さも体力的にもレキを上回っているガリルについて行けるはずもなく、レキとガリルの距離はあっという間に開いてしまった。
 なだらかな上り坂の頂上付近にいたガリルには、既に襲撃の現場が見えているらしい。レキもその後を追って、坂を駆け上っていった。
 ようやく襲撃現場が見える位置までやって来たレキは、思わず息をのんだ。馬車同士がすれ違えるくらいの道幅いっぱいに、血の海が広がっていた。数人の人と、二頭の馬がその血の海に沈んでいる。格好からすると、馬に乗って逃げた男の仲間である商人だろう。しかし誰一人として動かない。商品らしき荷物があたりに散乱していた。
 その血の海の中に、魔物はいた。
 巨大な黒い蜘蛛だ。八本ある足の長さは、子供の背丈くらいはあるだろう。口のある頭部は両手で一抱えできるほどもある。その後ろに続く胴体は、その何倍もの大きさだ。黒光りする身体は硬質な金属を想像させるが、実際もその通りで、金属並みに硬い身体を持つ魔物オオグログモだ。硬い外殻も厄介だが、もっと厄介なのは集団行動を好むことだ。
 見える範囲内でも、オオグログモは五匹いる。どれも成体で、同じような大きさである。
「俺が斬り込んでとりあえず正面の二匹を倒す。レキ、おまえは少し離れたところにいるあの一匹をやれ。それからその後ろにいる一匹を倒せ。いちばん後方にいる一匹は俺がやるが、移動してきておまえに襲いかかるかも知れない。その時は、いったん引いて体勢を立て直せ。オオグログモを一度に二匹相手するのはまだ早い。いいな?」
 坂の上でレキが来るのを待っていたガリルが、早口で指示を出す。レキは頷いた。
 オオグログモの立ち位置をざっと確認する。ガリルが抜刀したのは、それとほとんど同時だった。
「行くぞ」
 白作りの細い鞘から出てきた刀身は、金属を鍛えて作られたとは思えないほど混じりけのない白。入れ物である分どうしても汚れてしまう鞘よりも、白い。光沢はなく、一見すると刃さえないなまくらにも見えるが、れっきとした刀である。
 抜き出された白い刃は、やはり同じように白い煙を薄くまとっていた。いや、正確には煙ではない。空気中の水蒸気が冷気によって冷やされて、白く見えているのだ。冷気の元は、あの刃。《氷牙》(ひょうが)という名を持つあの刀の表面温度は、かなり低い。下手に触れば、低温火傷をする。
 レキもガリルに倣い、剣を――《紅蓮》を抜く。レキの得物はガリルとは違い両刃だ。ガリルの《氷牙》より幅広の刃の表面には、《紅蓮》という名前に相応しく、炎が揺らぐような模様がある。さらによく見れば、刀身を取り巻く空気が陽炎のように揺らいでいるのが分かる。ガリルの《氷牙》とは対照的に、レキの《紅蓮》は熱を帯びていた。うかつに触れれば、こちらの場合は火傷をする。
 二人の持つ得物。強力な魔術をかけられた魔具である。ただ斬るだけではなく、剣にかけられた魔術を引き出して攻撃をすることもできる。剣が冷気や熱を帯びているのは、魔術が発動しているからだ。
 魔具を所有することで、レキは正式な魔術士と認められた。しかし、《紅蓮》をはじめとする魔具の扱いは、一筋縄ではいかない。魔具にかけられた強力な魔術は強力な攻撃を可能にするが、それは制御することができて初めて可能となることなのだ。《紅蓮》がレキの持つべき魔具であるとはいえ、おとなしく言うことを聞いてくれるわけではない。
 《紅蓮》は、所有者にさえその熱で噛みつこうとする。《紅蓮》にかけられた魔術が強力すぎために、魔力として染み出しているからだ。レキは染み出る魔力を制御し、支配しなければならない。だが、《紅蓮》を持つレキは、いまだに熱さを感じていた。レキの制御から逃れている魔力のせいだ。
 レキが持つべき魔具であるはずの《紅蓮》に、こんなに手こずるとは夢にも思わなかった。《紅蓮》と初めて対面した時にはすんなりと持つことができたのが、嘘のようである。ガリル曰く、初対面だからいい子ぶっていたということらしいのだが。
 二ヶ月前には熱くて長く持つことができなかったのに比べれば進歩しているが、まだ完全には《紅蓮》を自分の支配下に置けていないのだ。
 目の前のオオグログモだけではなく、《紅蓮》の制御にも気をとられているレキとは違い、ガリルはほとんど無意識に、そして完全に《氷牙》の魔力を制御している。それくらいできないと魔物退治に集中することはできないと、ガリルには口を酸っぱくして言われている。実際にもっともなことだとレキも納得はしているが、頭で分かっていても、意識していてでさえ完全に制御できていないレキには、無意識に制御することは難しすぎた。
 そんなレキと違って、全神経を魔物に集中しているガリルは、短く息を吐くと駆け出した。レキたちの存在に気が付いたオオグログモが、ギチギチと歯を打ち鳴らす。威嚇しているのだ。先頭に立つオオグログモが歯を鳴らし始めたので、ほかの四匹もそれに呼応して歯を鳴らし始める。五匹で歯を打ち鳴らすと、ちょっとした合唱のようであるが、決して聞いていて心地いいものではない。
 その合唱が、ガリルの一撃で乱される。正面右側にいたオオグログモの頭頂部が、《氷牙》の刃で一刀両断される。純白の刃に赤黒い血がまとわりつく。混じりけも汚れもない刃が汚れてしまうようで、人の持ち物のことだし、こんな場面でなんて呑気だとガリルが聞けば怒るだろうが、レキはそれがとても惜しいと思ってしまう。
 赤黒い血で軌跡を描き、ガリルは早くもその隣のオオグログモに斬りかかっていた。
 のんきに見物している場合ではない。ガリルに遅れて駆け出したレキは、その横をすり抜け、集団のいちばん左端にいるオオグログモに強襲する。既に仲間がやられたところを見て、そのオオグログモは前よりもいっそう激しく歯を打ち鳴らしている。なんだか窮屈そうなギチギチという音が間近で聞こえ、耳が痛い。レキはわずかに顔をしかめ、前足の関節に剣を叩き込んだ。
 ガリルのように頭頂部を潰すのが手っ取り早い退治法だが、オオグログモの甲殻はかなり硬い。技術と力と、剣の強度があればその甲殻を破ることは可能だ。しかし、己の腕力と技術を頼りに剣を握る魔滅士とは違い、まだあどけなさの残る少女のレキには、魔術士という点を考慮しても、オオグログモの甲殻を切り裂くほどの力はない。剣としての《紅蓮》の強度は十分にあるが、技術がガリルに及ばない。技術はともかく、力がどうしても男に劣ってしまうのは仕方がないので、そういう時は関節を狙う。足などを関節から切り落とすことが目的ではなく、神経を切断することが目的である。もちろん、切り落とせるならそれに越したことはない。しかし、それなりの力がいる。だから切り落とすに至らなくても、関節を狙った。神経を切断することができれば、そこから先を動かすことはできない。
 陽炎をまとった《紅蓮》が、オオグログモの右前足の関節に食い込む。《紅蓮》の放つ熱でオオグログモの血肉が焼け、切り口からじゅっという湿った音と共にうっすらと煙が立ち上る。足を落とすには至らなかったが、神経を断ち切った手応えはあった。現に、その足はもう動かせなくなったようだ。肉を断たれた痛みから、オオグログモが威嚇とは違う鳴き声を上げた。
 レキはすぐに頭頂部と胴体の隙間に狙いを定め、《紅蓮》を振り上げた。それと同時に、レキは呪文を紡いでいく。それまでは熱を帯びていただけの《紅蓮》に、まとわりつくようにして炎が現れる。
 炎と熱で赤くなった刃を、頭頂部と胴体の間に滑り込ませる。炎と熱はオオグログモの体液や筋肉を激しく焦がし、鼻腔を不快に刺激する嫌な臭いが広がる。レキは更に力を入れ、刃を食い込ませていく。頭だけは、完全に切り落とさなければならない。オオグログモの生命力は強く、頭を完全に潰すか切り落とすかしなければ、その活動を止めることはないのだ。中途半端に首を落としそびれると、痛みと本能で大暴れして逆に危ない。
 どさりとオオグログモの頭が落ちる。これで一匹仕留めたが、息をつく間もなく、別のオオグログモがレキに襲いかかってきた。ガリルに指示された一匹と、襲うかも知れないと予想していた最後尾の一匹だ。二匹が連携して、両脇からレキを挟み撃ちにする。
 オオグログモの硬い甲殻は、刃物を寄せ付けないだけでなく、熱にも強い。レキが持つ《紅蓮》とは相性がいいとは言えない相手だが、この状況でそれを嘆いても、状況は打開できない。今あるもので何とかするしかないのだ。
 レキは身体の正面で《紅蓮》を構え、意識を研ぎ澄ませていく。オオグログモの打ち鳴らす歯の音はすぐそばまで迫っている。だが、耳が痛いと思う余裕などなく、レキは素早く、そして正確に呪文を詠唱した。
 詠唱を始めてすぐ、全身の皮膚の下で何かが――あえて例えるならば虫が――這いずり回るような気色の悪い感覚に襲われる。爪を立ててかきむしりたいが、そんなことをすれば集中が途切れて台無しだ。
 全身に散在している魔力を、魔術として展開するためには一極集中させなければならない。だがそれだけでは不十分だ。体内に宿る魔力そのものは無秩序な力の塊で、集めるだけでは役には立たない。魔力を意味のある形に整えて発現させることが、即ち魔術の展開なのだ。だから、《紅蓮》から染み出ているのは、厳密に言えば魔力ではなく魔術だった。無秩序な形である魔力だけなら、熱さは感じない。
 魔力の形を整える――構成を練り上げるには、どうしても時間が必要となる。これが手練れの魔術士ともなれば、魔術の種類によっては一瞬で済むものなのだが、レキのように魔力を集中させる段階で、その気色悪い感覚を感じるような魔術士には、一瞬よりももう少し長い時間がかかる。呪文の詠唱も必要だが、魔術を展開するために必要不可欠というわけではない。時間短縮のための手段だ。呪文が必要なレキとは違い、ガリルは呪文をほとんど必要とせず、使いたい魔術を即座に展開できる。こんな気色悪い感覚から解放されるためにも、早く呪文なしで魔術が展開できるようになりたかった。
 自分とオオグログモの間に、見えない壁を作ることを思い描く。レキの詠唱する呪文に合わせ、壁は速やかにでき上がっていく。陽炎のように揺らぐ空気の層が、レキとオオグログモの間でき上がるが、これだけではまだ役には立たない。
 レキは時機を計るように、両脇から迫るオオグログモの動きを注視する。二匹が、揺らぐ空気の層を突き抜けようとした。その瞬間、レキは最後の呪文を口にする。レキを挟み撃ちしようとしていたオオグログモは二匹とも、熱風と共に弾かれるように後ろへ吹き飛んだ。空気の急激な膨張――爆発を、レキが引き起こしたのだ。もちろん、自分で引き起こしたのだからその影響がレキには及ばないよう、防御はしている。しかしそれでも、レキ自身熱風の余波を受けて数歩後退し、肌がひりひりと痛んだ。
 爆発によって完全に吹き飛ばされたオオグログモの一匹は道の脇の木にぶつかり、仰向けに転がる。もう一匹は、レキがさっき倒したばかりの仲間の死体にぶつかった。そのオオグログモが体勢を立て直さないうちに、レキは地を蹴って斬りかかる。頭頂部と胴体の間に刃を叩き込む。刃は更に高温になっており、先程よりもいっそう激しく煙が立ち上った。臭気がレキにまとわりつくが、それには構わず全体重をかけて頭を落とした。頭が地面に落ちるよりも早く、もう一匹の方へ向き直る。
 が、その一匹は、ガリルが仕留めていた。仰向けになった腹側の隙間には《氷牙》の刃が突き刺さり、頭と胴体の一部が消し飛んでいる。硬い甲殻の切り口は近くに寄ってみるまでもなく、滑らかであることが分かる。ガリルの魔術で、そのオオグログモの頭は剣で斬られるよりもすっぱりと落とされたのだ。
 ガリルはオオグログモの身体に突き刺した《氷牙》を抜き、辺りを見回した。新手のオオグログモは、どうやら現れないようである。
 レキが一安心して胸をなで下ろしていると、《氷牙》を鞘にもしまわず、ガリルが動かぬ人々の傍らにしゃがみ、首筋に手を当てていた。 
「……駄目だな」
 首を横に振り、低い声で呟く。
 彼らは魔物に襲われた恐怖と絶望を、最期に見たのだろう。苦痛と恐怖を叫んでいる顔のまま、目は見開かれていた。ガリルはその見開かれたまぶたを、そっと下ろす。
 この場で生きているのは、レキとガリルの二人しかいなかった。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 この国――リトラの人々は、誰もがひとつ、腕輪をはめている。
 守環(しゅかん)と呼ばれ、名前と共に子供がもらう、両親からの最初の贈り物だ。両親は授かった子の無事な成長と幸せを願い、守環を贈る。そして、地域や町毎にそれぞれ色や種類は異なっているが、子供の成長に合わせ玉(ぎょく)を継ぎ足していく。
 守環を構成する玉の中には、必ず持ち主の名と出身地、そして両親の名が刻印されているものがある。魔物に襲われて命を落とす人が多いこの国では、守環は、子供の無事な成長を願う親の思いが込められたものである一方、皮肉なことだが、旅先などで不慮の死を遂げた時に身元を知らせる重要なものでもあった。
 レキとガリルは、遺体からその守環を外して集めた。遺体を家族のもとへ送り届けることができればいいのだが、馬もなにもない状態では、レキとガリルの二人で六人もの遺体を運ぶのは不可能だ。なにより、血を流した遺体の移送は原則として禁じられている。
 血の臭いを嗅ぎつけて寄ってくる魔物がいるから、この道を利用するほかの人たちの安全を考えると、遺体や血を吸った土は、燃やして埋めるしかない。それもなるべく道から離れた場所に。もちろん、魔物の死体も残しておくわけにはいかない。これも焼いて埋める。
 魔物退治をした後は、必ずこうして後始末をしなければならない。魔物の死体だけしかない時は、達成感があるからまだいい。だけど、魔物に襲われて死んでしまった人がいる時は、どうしようもなく気が重い。重く沈む心に引きずられるようにして、作業をする体の動きも鈍くなってしまう。
「レキ、もたもたするな。魔物が寄ってくるぞ」
 そんなレキとは対照的に、ガリルの動作に淀みはない。
 移動中のこうした事態を予想して、レキたちは埋葬するための一通りの道具を携帯している。悲しいことだが、それらが活躍する機会は少なくない。その道具のひとつ、組み立て式の小さなシャベルで、ガリルは手早く埋葬のための穴を掘っている。その横顔には、レキが感じているような悔しさや悲しみは、少しも浮かんでいない。
 いつもそうだ。ガリルは、死者がいてもいなくても、その表情に違いはない。彼は自分が助けられなかった人たちを見ても、何も思わないのだろうか。
 散らばった荷物も、血で濡れていた物はやはり燃やさなければならなかった。その中に、護符らしき物は見当たらなかった。行商をする商人であれば、持っていないはずはないから、きっと荷物の中に入っていたのだろう。しかし、その護符があっても、レキたち魔術士が駆け付けることのできた距離でも、助けられなかったのでは意味がない。あと少し早く来ることができればと思うと、残念でならなかった。
 レキが抱くその悔しさと同じものを、ガリルはまるで抱いていないように見える。そんなガリルの態度に、わずかな苛立ちを感じていた。
 レキは既に荼毘に付された遺体の方を見た。今は、布をかけてある。
「もう少し早く駆け付けたら、助けられたかもしれないのに……」
 触れた遺体には、まだ温かさが残っていたのだ。レキたちが来る直前まで、彼らは確かに生きていたのである。それだけに、悔しさとやりきれなさが増し、レキの心にますますのしかかる。それが思わず口をついて出て、ガリルの耳に届いていた。
「……無理だろう。俺たちが駆け付けた時には、最初の襲撃が終わった後だった」
 ガリルは穴を掘る手を休め、やはり燃やした後のオオグログモの残骸に目をやった。
「オオグログモは集団で獲物を囲み、確実にとどめを刺してから食事をはじめる。俺たち魔術士はともかく、最初の一撃さえ避けることのできない人間じゃ、囲まれた時点でおしまいだ――彼らに最初からついていない限り、助けることは無理だった。一人が、しかも俺たちのいる方へ逃げてこられただけ、運が良かった」
 囲まれる前に彼一人だけ逃げ出したのかもしれないが、彼を非難することはできない。魔術士や魔滅士ではない人間が、魔物の襲撃に遭って助かるには、逃げるしかないのだ。
 そして、彼がレキたちのやって来る方向へ逃げてきただけ、ガリルの言うように運が良かった。レキや乗客たちのだ。もしも彼が反対方向へ逃げていたら、あの乗合馬車もオオグログモの集団に遭遇していたのだ。乗客全員を守らなければならないという、レキが危惧していた展開が繰り広げられていただろう。そうなったとき、果たして犠牲者が今より増えないと言えただろうか。
「それは、そうです、けど……」
 レキはうつむき、シャベルの柄を握りしめた。起きていたかもしれない最悪の展開を考えると、運が良かったと認めざるを得ない。しかし、六人も犠牲が出ている現状を目の前にして、運が良かったと簡単に認めることには抵抗があった。レキが強ければ、たとえ乗合馬車とオオグログモが遭遇しても、今以上の犠牲は出ないかもしれない。だから、簡単に認められないのだ。認めてしまえば、自分の未熟を言い訳にしていたことになる。それが嫌だった。
「護符には限界があるが、魔術士にだって限界はある。今回は、オオグログモが出たと聞いた時点で、俺たちのやるべきことは、オオグログモを退治することしか残されていなかった」
 ガリルがあっさりと認めているのは、たぶん、本人が言う魔術士の限界を知っているからなのだろう。レキのような未熟ゆえの限界ではなく、一人前の魔術士としての限界を。
 けれど、実力も経験も備わった魔術士となったとき、同じ状況を前にしてレキは認めることができるのだろうか。強くなったら尚更、自分の力が及ばない状況に憤り、無力感にさいなまれるのではないだろうか。
 ガリルは強いのに何故、力が及ばないことに魔術士の無力さを感じないのだろうか。レキの抱いている無力感が、強くなると共に失われてしまうのだとしたら、それが果たして魔術士として良いことなのか疑問だった。ガリルを見ていると、時々そう感じる。
「レキ。話はそれくらいにして、とにかく穴を掘れ」
 ガリルの有無をいわさぬ強い声に、レキは小さく頷いた。
「彼らも、いつまでもあのままじゃ気の毒だろう」
 物言わぬ人たちを見て、ガリルがぽつりと言った。そしてすぐに手元に視線を戻し、黙々と穴掘りを再開する。
 途端にレキは、自分が恥ずかしくなった。
 表立って見えないだけで、ガリルだって悔しくないはずはなかったのだ。
 シャベルを握るガリルの左手を見る。守環は、女は右手に、男は左手にはめる。しかし、ガリルの左手には何もはめられていない。ガリルの左腕にあるべきはずの守環は、そこにはない。魔物に襲われて、ガリルの家族もろとも故郷がなくなった時、家族と共にガリルは自分の守環を埋めたらしい。そんなガリルが、魔物に殺された人を見て、何も思わないはずがない。
 そのことに今まで気が付かなかった自分が、どうしようもなく恥ずかしく、情けなかった。
 それでもやはり素直に認めることはできないが、せめて早く、彼らのために安心して眠る場所を作ろうと、懸命にシャベルを動かした。

 ◆ ◆ ◆ ◆

「レキ。その腕はなんだ」
 埋葬がすべて終わり、手についた土を払っていたら、ガリルが何故か鋭い目でレキを見ていた。
「腕?」
 言われて自分の腕を見ると、右の二の腕がやけに赤くなっていた。爆発の余波を防ぎきれずに負った、軽い火傷のようである。多少は痛いと思っていたが、戦いの最中は一種の興奮状態だったし、その後は死者の埋葬や魔物の死体を処理する作業に追われて感傷的だったり忙しかったりだったので、今まで火傷したこと自体忘れていた。
 傷の存在を思い出すと、途端に忘れていた痛みが押し寄せてきた。ひりひりと痛む。魔術を展開するとき特有の気色悪い感覚に耐えたというのに、構成した魔術が完璧ではなかったことに落胆を覚える。《紅蓮》を支配するどころか、自分の魔力さえ完全には制御できていない。
 《赤地》が万年人手不足であることを考えると、とりあえず魔具を得たなら正式な魔術士にしてしまえという、認定基準の甘さは否めない。しかし、甘かろうが辛かろうが、認められれば魔術士であることに違いない。それなのに、この体たらく。さっきとは別の意味で、自分が情けない。
 レキが痛みと情けなさに顔を歪ませるのを見て、ガリルが溜息をついた。
「またか」
 腰に両手を当てたガリルが溜息をつく。
 ガリルのそんな態度に、レキは自分への情けなさもあって気後れしてしまうし、単純に気持ちがへこむ。自分でも情けないと分かっているのに、それを他人にも指摘されると、間違いなく自分が無力であると言われているようで、憂鬱になる。
 ほとんど師匠のようなものであるガリルの指導は、決して優しくなかった。正式な魔術士になって間もないという言い訳は、するつもりもないが当然通用せず、魔術の制御には完璧であることを求めてくる。もちろん、レキもそうあるべきだと分かっているから努力はしているのだが、やはりガリルとの差は歴然としているため、彼が求める水準には届かないことの方が多い。
 さっき挟み撃ちにされた時に、とっさに爆発を引き起こしたのは自分ではなかなかいい判断であり、攻撃をしつつ防御もするという、これまでのレキにしては上出来な制御ができたと評価してもいいところだが、防御が完全ではなく怪我を負ってしまっているので、ガリルは「よくやった」とは言ってくれない。
 たまには少しくらい褒める方が上達すると思うんだけど――レキはふて腐れるように、内心で愚痴った。ガリルと組んで以来、彼に褒められたという記憶はほとんどない。いや、思い出そうにもそんな記憶に心当たりがないから、全くないといっていい。五年前、兄の墓前で優しかったガリルは、子供の頃の夢だったのかもしれない。あるいは、思い出が美化されたか。
 ともかく、あの時ガリルが見せた優しげな表情を、ガリルと組んで以来見たことはない。
「自分の身すら守れないようじゃ、一人前とは言えないぞ」
 今度は深々と溜息をつかれてしまう。
「見せてみろ」
 ガリルが手招きをする。レキは、赤くなった腕を自分の肩くらいの高さまで上げた。ガリルはレキの腕をとって傷の程度を確認すると、おもむろに、腰に下げている小さな鞄の中から包帯と塗り薬を取り出して、手当をし始めた。簡単な応急処置であるが、ガリルは慣れた手付きで薬を塗り、包帯を巻いてくれた。
 魔物から傷を受けた時はもちろん、不完全な魔力の制御で怪我をした時でも、ガリルはこうして手当をしてくれる。小言や説教が多い一方で褒めることのないガリルだが、未熟なレキに愛想を尽かして、手当すらもしないということはなかった。

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