紅蓮のをつかむ者―序
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 大きな石を切り出して積み上げたその部屋は、中身を全部運び出せば案外広そうである。けれど、入り口以外の壁という壁には棚が据え付けられ、その中には所狭しと武器が陳列されている。様々な種類の武器が収められている棚は、壁に貼り付いているもの以外には部屋の中に背中合わせにして三組、つまりは六つも並べらている。入り口からは見えない位置にある棚の中にも、やはり武器が収まっているのだろう。
 武器庫――部外者が見れば、部屋へ入るなりそう言うだろう。間違いではないが、正確ではない。ここにある武器は、街中の武器屋で売られているような物とはちょっと違うからだ。
 魔具、と呼んでいる。簡単に言えば、魔術を掛けられた武器だ。魔導師たちが、特殊な手法で特殊な魔術をかけて生み出された武器が、この部屋の中に収められている魔具なのだ。
 レキは扉を開けた瞬間、閉め切った部屋の中にこもっている暑い空気の塊に似た、思わず顔をしかめてしまうような熱気を感じた。
 実際に暑いわけではない。部屋の中にこもった魔力が、暑い空気のように感じられただけだ。魔具はいずれも鞘などの、やはり特殊な魔術を施してある入れ物に収められているが、それでも魔力が染み出すのは仕方がないことらしい。信じられないほど強力な魔術のかかっている魔具は、特に魔力が染み出しやすいのだそうだ。
 そんな魔具がたくさんこの部屋の中にあるものだから、染み出しす魔力だけでも相当に多く、肌で感じ取れるほどなのだ。これだけ魔力がこもっていては、魔力を持たない普通の人間が一歩足を踏み入れれば、この空気に当てられて気を失ってしまうかもしれない。
「君が持つべきものを選びなさい」
 レキの背後に控えている中年の男――この部屋にある魔具の一部を作った魔導師――に促され、レキはおびただしい量の魔力がこもる部屋に足を踏み入れた。
 レキは魔力を持つ、普通とは少し違う人間、魔術士だ。『見習い』とその前に付くが。しかし見習い魔術士とはいえ、この程度のことで気を失うことはないし、失うわけにもいかない。
 レキが部屋に入ると、男が扉を閉めた。外界と繋がる唯一の通路が閉じられたことで、魔具から染み出る魔力は行き場を失い部屋の中に溜まっていく。急速に室温が上がっていくような気がするが、もちろんそんな気がするだけで実際に変化はない。ただ、肌でひりひりと、時間と共に濃密になる魔力を感じた。
 壁や棚にある魔具は、形状としては刀剣が多い。魔術をかけられているとはいえ、武器としても使うのだから、形としては刀剣が多くなるのかもしれない。もちろん、それ以外の形状をした魔具も少なくはない。
 レキは棚の間をゆっくりと歩きながら、一つずつ魔具を見ていった。
 魔導師は、レキが持つべきものを選べと言った。レキが持ちたいものではない。形状が好きなものを選ぶわけでもない。レキ以外には誰も持つべき者がいない、レキに最もふさわしい魔具を選ぶのである。
 その決め手となるのは、直感だ。魔術士本人の直感が最も重要であり、それが唯一の基準である。魔具は、持ち主となる者が現れたら、声をかけてくるらしい。本当に声が聞こえるかどうかは誰にもはっきりとしたことは言えないが、既に魔具を所有している先輩たちが言うには、その魔具の前に来ると、それが自分が持つべきものだと分かるらしい。
 だが、部屋いっぱいにある魔具すべてを見ても、とうとう直感を得られないこともある。
 実際、自分の持つべき魔具を見つけ出せないまま、この部屋を出た人物を数人、レキは知っている。皆、悔しげに顔を歪め、手ぶらで部屋から出てきた。
 ふさわしい魔具がないのは、それはそれで仕方がないと言うが、レキは、なんとしても魔具が欲しかった。魔具の所有者となれば、しばらくはまだ見習いを続けることにはなるが、それでもいずれは正式な魔術士となれる。
 ここは、《赤地》という名の魔物討伐隊である。魔物を退治する魔術士を育て、人々の要請に応じて、育て上げた魔術士を派遣する組織である。魔術士として派遣されるということは、一人前として認められたということである。
 正式で一人前の魔術士とならなければ、《赤地》へ入った意味はない。討伐隊はなにも《赤地》だけではないが、レキには《赤地》の魔術士でなければならない理由があった。
 レキの兄もまた、《赤地》で魔術士となった者の一人だ。歳の離れた兄で、レキが幼い頃に実家を出て《赤地》へ入ったのだが、その活躍ぶりは遠く離れた家族の元にも届いていた。兄は、たまにしか実家に帰省しなかったが、その活躍ぶりから、故郷の英雄といわれて皆にもてはやされた。そんな兄が誇らしく、いつか自分も兄のようになるのだと、いつの間にか、しかしさも当然のごとく、子供の憧れと大差ないものではあったが、幼い頃のレキは子供なりに真剣に、《赤地》の魔術士になるのだと思うようになっていた。
 そして、ある時を境に、憧れだった夢は、確固たる目標となった。
 しかし、魔術士になることは容易ではなく、魔物と戦い、その度に生還することは更に容易ではない。《赤地》へ入り、魔術士となるための修行を積むようになって、レキは兄の優秀さを本当の意味で理解した。
 優秀な兄に追いつくのは、やはり容易いことではない。だけど、レキは兄のような魔術士になることを決意したのだ。魔具を手に入れることは、その兄に一歩――もしかしたら半歩かもしれないけれど――近付くことになる。
 必ず、魔術士になるのだと、念じるように胸中で呟きながら、レキは魔具を見ていく。既に三分の二ほどの魔具を見終えているが、直感を感じたものはなかった。
 半数を見終えたあたりから、焦りを感じるようになっていた。
 残りが四分の一ほどになって、手ぶらで部屋を出てきた仲間の姿が脳裏に浮かぶ。悔しげな顔を見せまいとしてか、あるいは思いもよらぬ結果に落胆してか、うなだれる頭と、引きずるように重い足。自分にふさわしい魔具がないことは、《赤地》の魔術士として落第を意味するわけではないが、それでも魔具を得た仲間より確実に、魔術士となる時期が遅れることを意味する。人によっては、とうとう魔術士となれないこともあるのだ。
 《赤地》の魔術士で、魔具を持たない者は殆どいない。魔具を得られなかった者たちが、魔術士となることを諦め、《赤地》を去っていくからだ。結局、魔具を得られないことは魔術士になれないことを、殆ど意味している。
 見ていない武器は、出入り口のある壁の一面に立て掛けられている物だけになっていた。この棚になければ、レキも、うなだれて部屋を出て行くしかない。
 そんなのは、嫌だ。
 立ち止まり、目を強くつむった。このままここにいても、どうしようもないことは分かっている。だけど、この壁一面を見て、とうとう魔具を得られなかった時のことを想像すると、恐ろしくて目を開けられない。
 けれど恐れてはいけない。だけど、やはり恐ろしい。この中に、レキが持つべき魔具がなかったら――
 
 誰かが、遠くから囁きかけたような気がしてレキは、強く強く閉じていた目を開いた。扉は閉められたままで、ほかに誰もいるはずがない。魔具を選ぶ時は、必ず室内には一人、という決まりがある。だから誰かがいるはずがないのだ。しかし、レキは誰かの囁き声を聞いた。なんと言っていたのかは分からないが、それでも聞こえた。
 レキは開けた目を、壁の真ん中あたりに向ける。
 そこだけ、赤く光っているように見えた。見落としてしまうような弱い光ではない。燃えさかるたいまつの炎のように、はっきりとした強さを持っている。それなのに、部屋に入った時にはその赤い光の存在に、まったく気が付かなかった。
 レキは赤い光に吸い寄せられるように、近づいた。上下二段しかない棚の下段に立て掛けられていたのは、何の装飾もない鞘に収まる剣だった。柄にも、滑り止めのために撒いた布があるだけで飾りはない。余計なものをいっさい削ぎ落としたような簡素な剣。それを、手に取る。
 まるで、長年愛用してきた物のように、しっくりと手に馴染んだ。柄はほんのりと温かい。気のせいかと思ったが、柄は本当に温かかった。いや、それどころか、自己主張するかのように熱いくらいだ。熱い柄を握りしめ、剣を抜く。
 鞘から現れたのは、はじめは赤い刃かと思った。けれどよく見ると違う。銀色の刃の表面に、炎のような紋様が踊っているのだ。刃の中の炎は、ゆらゆらと絶え間なく揺らいでいた。熱い柄に、炎が踊る刃。まるで、火炎でできた剣を持っている気分である。
 唾元に、小さな文字が刻印されていた。
「紅蓮(ぐれん)……」
 名前を呼ぶように、刻印された文字を読み上げる。レキの声に呼応するように、刃の中で炎が大きく揺らめく。
 間違いない。この剣こそ、レキが持つべき魔具だ。
「今日から、よろしく」
 レキは、これから共に魔物と戦っていくかけがえのない相棒に挨拶をした。

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