第三章 07
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「四人とも、よくやった」
 《獣》を倒した翌日、いつもの小部屋で、ルフトは安心した表情でギーディスたちの顔を見回した。
「カシュラルとエムクドも、協力してくれてありがとう。君たちが教えてくれなければ、いたずらに犠牲が増えていただろう」
「お礼を言うのわたしたちの方です。信じられないような話を信じて、その上無理を言って警備団に入れてくれたんですから」
 カシュラルは再度ありがとうございますと言い、エムクドも礼を口にして二人して頭を下げた。
 そんな二人に恐縮したように、ルフトは顔を上げてくれ、と言う。
「報告書は、わたしが書いて提出しておく」
 と、これはギーディスとナサシアに向けて事務的に言った。生まれ変わりの話やカシュラルとエムクドをルフトの独断で警備団へ一時的に入れたことなど、ありのままを報告するわけにはいかない。うまい具合につじつまを合わせたものに仕立てるのだろう。
「復活した《獣》は倒したが、ギーディスの中にはまだ《獣》の核が封印されている。そういうことだったね?」
「はい」
 カシュラルが頷く。
「それについては、どうするつもりでいるんだい」
 ルフトはカシュラルを見て、それからギーディス、そしてナサシアとエムクドにそれぞれ視線を向ける。
「……ギーディスの中にある核は、わたしの中にあったものよりも力が弱いと思います。封印を解いてすぐに破壊すれば、その核も消滅するでしょう」
「じゃあ、封印を解くのね?」
 確認するように、ナサシアがカシュラルを見る。
「その前に、一つ確認したい」
 ルフトが、善は急げとばかりの表情をしているナサシアを制する。
「封印を解かなかった場合、何か支障はあるのかね? たとえば、ギーディスの体に深刻な影響が出るとか」
「……封印直後は、核の力がまだ強くて、いくつか問題はありました。生まれ変わることも、影響の一つです。でも、今はもうかなり弱っているから、生まれ変わる以外の影響はないと思います。おそらく、もう一度生まれ変わる時に、核は消滅します」
「それまでに封印が自然に解けることは?」
「ありません。それは保証します」
 ギーディスの中にある核を封印したのも、カシュラル――カシュラルという名ではなかった時の彼女らしい。きっぱりとした口調だった。
 ルフトは、ふむ、と呟いてしばらく考え込んでいた。
「影響がなく封印が解けることがないのなら、このままにしておこう」
「小隊長!? いいんですか、そんな中途半端なことで」
 真っ先に声を上げたのはナサシアだった。
「わたしは、封印を解いた時にまた同じように《獣》が復活することを心配している。いくら弱いとは言え、核があるならば魔物はそこから復活する可能性がある。ナサシア、君も警備団員なら、よくわかっているだろう」
「でも……」
 助けを求めるようにギーディスを見る。
「俺は、消滅させられるなら、した方がいいと思います。だけど――」
 危険を冒したくないルフトの気持ちはよくわかる。一方で、魔物の核を持ち続けていいのかという、罪悪感のようなものもあった。
 ギーディスの中に核がある限り、《獣》を倒した、と一分の隙もなく言い切ることはできない。
 だが、カシュラルが大丈夫と断言するのなら、解こうとしない限りきっと封印は解けることはない。このままでもいずれ核が消滅するのであれば、倒したとも言える。
 それでいいのではないか、という思いはある。あるいは、不安よりもそれは大きいかもしれない。
 死んでまた生まれ変わるのが核を封印している影響だというのなら、生まれ変わる前の記憶を取り戻すのもその一つなのだ。カシュラルが生まれ変わる前の記憶を取り戻したように、このままでいれば、いずれギーディスも記憶を取り戻せるのではないか。そう考えていた。
 昨夜、《獣》の眉間に矢を放つ直前に思い出したのは、相変わらず輪郭の曖昧な女の、目の色だった。
 研ぎ澄まされた刃のような、銀色に輝く瞳。あの瞳が、いつでもギーディスを――ヴァンドールを見つめていた。ひどく懐かしくて愛おしい。思い出すと、何故忘れていたのかが不思議なくらいだった。
「危険を冒すよりはこのままがいいです」
 うそだ、と口にしながら思った。危険を冒したくないのは建前で、本音では、記憶を取り戻したいのだ。
 銀色の瞳を持つ女。何度生まれ変わっても、瞳の色は変わらなかった。彼女のことを、ちゃんと思い出したい。
 隣に座るカシュラルを横目で見て、そう思った。
「ギーディス、本当にそれでいいの?」
 核を持っていることそのものへの不安と嫌悪なのだろう。ナサシアは険しい表情で、何度も確かめる。
「いいんだ」
「ナサシア。危険は侵すよりいいと、ギーディスも言っているだろう。わたしは、この件でもう誰も犠牲にしたくはない」
 ルフトに言われ、ナサシアは渋々引いた。
「二人も、それでいいね?」
 と、カシュラルとエムクドに顔を向ける。
「はい」
「異存はないです」
「君たちの協力に、改めて感謝するよ」
 それで、とルフトは一度咳払いをする。
「すぐにこういうことを言うのは気が引けるが、協力者としての君たち立場は、これで終わりだ」
「小隊長、そんな……」
 ナサシアが、人でなしを見るような目でルフトを見る。最初にカシュラルたちが紹介された時とは大違いだ。
「常に危険を伴う場所に、一般人を長く置いておくことはできない。すまない」
 ルフトは渋い顔で頭を下げた。
「いいえ、無理を言ってぼくらを入れてくれたんですから。用が終われば、すぐに退散するのが道理です。ねえ、カシュラル?」
「ええ。短い間でしたけど、お世話になりました」
 カシュラルとエムクドは聞き分けがよく、眉尻を下げるナサシアにほほえんだ。
「ギーディスとナサシアも、ありがとう。《獣》を退治できたのは、二人のおかげよ」
「……カシュラルとエムクドがいなかったら退治できなかったわ、絶対に。こっちこそ、ありがとう」
 ナサシアは観念した様子だが、意気消沈した声だった。
「俺も、礼を。カシュラルとエムクドが来てくれなかったら、俺は《獣》に喰われてたよ。ありがとう、助けてくれて」
 カシュラルとエムクド、明日にもノリストラルへ戻るという。二人には、宮廷魔術師の選考会という大事な用件があるのだ。
「それなのに、ガエリアまで来て大丈夫だったの?」
 詰め所の外まで二人の見送りに出た。待機室にいた同僚たちも見送りに来て、詰め所の前に警備団員が十人近く集まるという、一種異様な光景になる。通りすがりの人たちが、何ごとかと目を剥いていた。
 カシュラルとエムクドが宮廷魔術師候補と知った同僚たちが口々にすごいと言い、頑張れよと激励する。
「あまり大丈夫じゃない、かな」
 カシュラルは苦笑していたが、言葉の割に深刻そうではなかった。
「謝れば許してもらえるよ、たぶん」
 エムクドも似たようなものである。
 本当に大丈夫なのかと心配がよぎるが、こればかりはギーディスたちにはどうしようもない。
「そろそろ行った方がいいわね」
「みたいだね」
 遠巻きに、野次馬が集まり始めている。確かに二人の言うとおりだ。下手に騒ぎになって、ガエリア領主の耳にまで届いたら面倒である。
「元気でね」
 カシュラルが、手を差し出す。ナサシアは一瞬意表を突かれた顔になるが、すぐにその手を握り返した。
「カシュラルも、元気で。選考会、がんばってね」
「ありがとう」
 それから、カシュラルはギーディスにも手を差し出した。
「無理はしないで」
「カシュラルもな」
 彼女の手は思いの外小さかった。どことなく頼りなく、だけど温かい。その手が、するりと離れる。
 去っていく二人の背中が小さくなり、雑踏に紛れてやがて見えなくなる。見送りに出ていた一同は、ぞろぞろと詰め所の中へ戻り、野次馬たちも散り散りになる。
「ギーディス、どうかしたの?」
 たたずむギーディスに、ナサシアが声をかける。
「……なんでもない」
 答えながら、カシュラルと握手をした掌を見つめた。そこには、小さく折り畳まれた紙があった。


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