オリジナル小説サイト|夢想叙事|Eve or Vandor 第三章 02
第三章 02
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 第四分団の担当区域に入れないということは、それ以外の区域も同じだ。カシュラルたちは第二分団の管轄内で、なんとか手がかりを探すしかない。結界の外も含めて。
 この五日間、結界付近を散々うろうろしても収穫はなく《獣》も現れず、手詰まり状態になっている。
 結界から遠く離れることにカシュラルは抵抗があったけど、このままではらちが明かないと彼女以外の三人は意見が一致していたので、遠くまで探索することになったのだ。
「簡易だけど、これで結界になるわ」
 ナサシアが掌に収まる大きさの札に何かを書き付け、カシュラルたちに差し出した。木を削って作った札で、書いてあるのは魔術の構成だった。
「これが結界に?」
 魔術構成が書いてあるのは片面だけで、札を要として結界が機能するのは見ればわかる。だけど結界とい言えば、ガエリアを囲んでいるものほど立派なものでなくとも、石柱や岩、頑丈な壁など、その場にあって動かせないものを要とするのが普通だ。
「そうよ。札を持つわたしたち四人が頂点になって四角形の結界が発動するわ。立ち位置はある程度固定されてしまうけど、わたしたちと一緒に移動する結界になるの」
 強度は大したことないけどね、とナサシアは付け足す。
 手でも割れそうな札だから、強度は確かにそうだろう。でも、結界ごと移動する、というのは目から鱗だった。
 宮廷魔術師を目指すカシュラルたちが教わったのは、結界をいかに頑丈で長持ちさせるか、その方法である。街を守ることが前提なので、移動など念頭にもない。
 実戦主体の魔術師には珍しくもない手法なのか、感心するカシュラルたちに、ナサシアが驚いた顔をしていた。
 ナサシアのうしろがカシュラル、彼女の左隣を歩くギーディスのうしろはエムクドで、この並びで、二十歩くらいの距離まで離れても結界は機能するそうだ。《獣》から完全に守ることはできなくても、足止め程度にはなる。カシュラルがナサシアを追い越したり、ナサシアとギーディスが入れ替わったりしないように気をつけておけば、普通に歩くのと変わりはない。
 カシュラルたちは雑木林の中を進んだ。一般人が通る道で《獣》に襲われたらよけいな巻き添えがあるかもしれないからだ。
 道なき道ではあるけれど、森ほど密集して木が生えているわけではなく、歩きにくいということはなかった。
「なんだ、このにおい?」
 雑木林を吹き抜ける風に、異様なにおいが混じっていた。エムクドが顔をしかめ、カシュラルも眉間にしわを寄せる。卵が腐ったようなにおいだ。
「硫黄のにおいだよ。このあたりは湖に近いから、いつもこのにおいがするんだ」
 ギーディスが振り返り、笑みを浮かべる。
「湖に向かってるのか?」
「この方向だと、そうね」
 においに顔をしかめるエムクドに、ナサシアが肩をすくめる。
 ガエリアの西には湖があるのは知っていたけれど、こんな異様なにおいがするのは知らなかった。
「向こうに火山があるから湖は酸性だし、ガエリアには温泉がわくんだよ」
 今はまだ見えないけど、とギーディスが前方を指さす。
「湖も温泉なの?」
「さあ、どうかな。流れ込む川はないのに干上がらないから湖底から水が湧いているとは言われているけど、生物も棲まない湖だ。水が温かかったとしてもつかるのは無理だな」
 風が運んでくるにおいはどんどん強くなる。ガエリアを出てほとんど平坦だった地面は、進行方向に向かって傾斜していた。
 やがて、木々の向こうに、美しい青色が見えた。晴れ渡った秋の青空に蛋白石と翠玉を混ぜ合わせたような色だ。
「きれい……」
 雑木林を出たカシュラルは思わず呟いた。
 腐った卵のようなにおいはますます強い。だけどそれが気にならないほどの光景に目を奪われる。一周するのに三十分もかからないくらいの湖だけど、ほぼ円形で色は美しい。対岸にそびえるのがさっきギーディスが言っていた火山なのだろう。輪郭はなだらかで、この距離からだとほとんど凹凸が見えない。
 ガエリアから通じている道らしきものが離れたところにあって、数人の人影があった。湖を見に来た旅人たちだろうか。なるほど、これは一見の価値がある。
「ギーディス、どう? 何か感じる?」
 カシュラルとエムクドは景色に見とれてしまっていたけど、ギーディスとナサシアには見慣れた光景なのだろう。景色を見るためではなく周囲をうかがっている。
「ガエリアの近くにいた時とあまり変わらない気もするな。ここへ来る途中も、特に強く感じるということもなかったし……」
 ギーディスは腕組みをして、首を傾げていた。結界があるから、カシュラルは彼の隣に並んで表情を見ることはできない。でもちょっと困った表情をしていそうなのは、声から想像できた。
「隠れられそうな場所、ないものね」
 ナサシアが肩をすくめる。
 初めて訪れたカシュラルから見ても、隠れられそうな場所は見当たらない。強いて言えば雑木林の中だ。山のどこかに洞穴があれば、そこに潜めるかもしれない。
 カシュラルは少々重い気持ちで、ギーディスの背中を見た。
 イヴとヴァンドールの、過去から積み重ねられてきた記憶はどこに保存されているのだろう。イヴもヴァンドールも、《獣》を封印した人生からの記憶しかない。だけど、生まれ変わり、記憶を取り戻すことに《獣》の核が関係しているのは間違いないだろう。《獣》の封印を解いてもカシュラルの中からイヴの記憶は失われていないから、記憶は自分の中に蓄積されているのかもしれない。
 だけど、ギーディスはいまだに記憶を取り戻さない。それはつまり、彼の中の核が相当弱っていることを意味しているのではないだろうか。積み重ねてきた記憶はギーディスの中にあるけれど、《獣》の核の力が弱いためにそれを取り戻すことができないのではないか。あるいは、ギーディスの魔力が弱いから、記憶を取り戻せないのか。その両方なのかもしれない。
 胸を埋める寂しさを振り払うように、カシュラルは頭を振った。
 これでいいのだ。ギーディスがヴァンドールの記憶を取り戻さないのなら、その方がいい。まっさらな状態に戻ることがイヴの長年の目的だったのだから。ただ二人同時にまっさらにならなかった、それだけだ。
「あの辺の山まで行けば、隠れる場所はいくらでもあるんじゃないの?」
 エムクドが指さしたのは、対岸にそびえる火山だった。
「あるだろうけど、隠れるにはちょっとガエリアから離れすぎてるわよ」
 近隣の村で家畜が襲われたという報告が数件あるそうだ。不幸中の幸いで人的被害はまだ報告されていないけれど、恐らく《獣》の仕業だろう。今のままでは返り討ちに遭うから力をつけようとしているに違いない。
「足の速い魔物なら、距離があっても大した問題にはならないかもしれない」
 振り返るギーディスに、カシュラルは首を横に振った。
「《獣》がここに来るまでにかかった日数はわたしたちとほとんど変わらないようだし、かつても足は特別速い魔物じゃなかったわ」
 もしも火山までの距離をものともしない瞬足の魔物だったら、五日前にもっと素早く襲いかかっていただろう。いや、カシュラルたちがガエリアに着く前に、ギーディスを襲っていただろう。
 結局この日も収穫は得られなかった。
 だけどその翌日、カシュラルたちはガエリアの北にある農村に来ていた。三日前、村の外れに近い家畜小屋が襲われて豚が一頭消えたそうだ。
 その家畜小屋の持ち主を訪ねると、安心した表情でカシュラルたちを迎えた。おとといの朝方被害に気づき、すぐさまガエリアの第四分団に届けを出したものの、魔術師は今手一杯ですぐには対応できないから三、四日待って、と言われたのだ。家畜の被害は、ガエリアの北にある村で多く報告されている。東の方でも。
 分団に二人か三人しかいない魔術師が、報告のあった村へ出向いて結界を作っているのだが、数は少ないとはいえ一つの村に結界を張るのに一日はかかる。農民たちにとって、家畜は重要な資産で彼らの生きる糧になるものだ。できる限り早い対処を農民たちは当然望むし、警備団側も魔物がガエリア周辺の村を襲っているという評判は大きくならないようにしたい。
 そこで、ナサシアとギーディスが加勢として派遣されることになったのである。ガエリアから離れた北側の村であっても、いつもならば第四分団が対応するが今回は人手不足で、カシュラルたちにとっては《獣》の手がかりを得られるかもしれないまたとない機会だ。
 家畜小屋の、村の外に向いている壁が大きく破られていた。そこから侵入して豚を屠り、去ったのだろう。朝になって穴から豚たちが脱走してしまい、探して連れ戻すのが大変だったらしい。豚たちをかき集めて数を確認し、その時にようやく一頭足りないことに気がつき、届け出るのが遅くなったそうだ。今は外側から板を打ちつけて穴を塞いであった。
 結界の要として、ナサシアは家畜小屋の持ち主に人の頭大の石を十個用意してもらった。それに魔術構成を書き込み、村を取り囲むように配置するのだ。借りた荷車に石を積み、ギーディスとエムクドが交代で荷車を牽きながら、四人は地道に石を配置していった。
 《獣》は人語を操る上に知能も高くなっている。一度襲った村はもう襲わないかもしれないけれど、万が一という場合があるから、結界にはカシュラルとエムクドの魔力も上乗せした。これで、農村を守る結界としては十分すぎる強度になる。
「《獣》は俺を狙わず、家畜ばかり襲っているんだな」
 村からガエリアに戻る道中、ギーディスがぽつりと言った。
「……ギーディスだけを狙う魔物、なんじゃなかったの?」
 ナサシアが非難めいた視線を向けた。カシュラルはその視線を逃げずに受け止める。
「最終的な狙いはギーディスよ。でも、確実に目的を達成するために、力を蓄えているのよ、今は」
 いくつかの村を襲っているのは、目立つのを避けるためだろう。一カ所に被害が集中すれば、大勢が討伐のために動き出す。なんでも食べると言っても、《獣》は口に入る大きさでなければ食べられない。
 かつては強大な力を持ち、それを維持するために大量になんでも喰らっていた。そのため災厄とさえ言われ恐れられたのだ。
 今はまだ狼くらいの体型だから、口に入る大きさも量も少なく、それゆえに力も弱い。大勢で一気に攻められたらとても太刀打ちできないとわかっているのだ。
「退治は早ければ早いほどいい。時間が経つほど、《獣》は力をつけていくから。少しずつ、でも確実に」
「被害が出ているのはガエリアの北から東にある村だから、《獣》が潜んでいるのはそのあたりじゃないのか? 大勢で探せば早く見つけられるし、戦うのにも有利になる」
 《獣》が力をつけるのを優先しているとすれば、当分はギーディスに近づかない。カシュラルたちがガエリアの西以外で大手を振って動けるのは今日みたいなことがなければ無理だろう。明日からはまた、見込みが薄いとわかっていながらガエリアの西をうろつき、いたずらに《獣》に時間を与えるだけになる。だからエムクドの言うことには一理ある。むしろ、できるならそうした方がいいのかもしれない。
「そうね。魔物がいて早く退治しないと厄介となれば、警備団も縄張りに関係なく動くだろうし。戻ったら、ルフト小隊長に提案してみましょうよ」
 ナサシアが、エムクドの考えに賛成してギーディスに同意を求める。でもギーディスは黙っていた。頷きもしない。
「……わたしは、反対よ」
 ナサシアの反感を買うのはわかっていたけど、カシュラルは言った。
「どうして。早ければ早い方がいいって言ったのは、あなたでしょ」
 案の定、ナサシアがさっきよりも険しい目つきになる。
「そうだけど、でも、大勢で動けばそれだけけが人が出る可能性も高くなるわ。《獣》に食べられる人も出るかもしれないと考えたら、最少の人数で動く方がいい。人が多いとどうしても動きは鈍くなるし」
 それに、《獣》はカシュラルの手で退治したかった。それが、解放してしまった者としてのけじめだと思うのだ。
「そうかもしれないけど……」
「俺も、大勢はやめた方がいいと思う」
 黙っていたギーディスが、カシュラルの援護をする。ナサシアが、あからさまに顔をしかめた。
「ギーディスまでそう言うの?」
「被害が出ているのが今のところ周辺の村だけだから、警備団はまだ積極的に退治に乗り出してない。その証拠に、村に魔術師を派遣して結界を作るだけだ。村に出る魔物と、ジェフテスを襲った魔物が同じとは考えてないんだろう」
「同じ魔物だと言えばいいじゃない」
「証拠はない。ない以上、大勢を動員するのは無理だろうな。それに、カシュラルも言ったけど、人が多ければその分被害も増える」
 ギーディスに言われ、ナサシアもすぐには反論できなかったようだ。誰もが無言のまま、足音だけが耳に届く。
 やがて、ナサシアが口を開いた。
「――戻ったら、ルフト小隊長に訊くだけ訊いてみよう」
「ナサシア。俺は反対だって……」
「警備団の人間なら、多少のけがをするのは覚悟の上よ。わたしたちだけでギーディスを守るより、もっと大勢で守る方がいいわ」
「俺は守ってもらうつも」
「とにかく、話すだけ話すわ」
 今もナサシアの作った移動用の結界が機能しているから、立ち位置は昨日と同じである。カシュラルには、前を歩く二人の表情は見えない。ギーディスはナサシアの方を向いて、何か言おうとしたけれど、やめた。言える雰囲気ではないのが、ナサシアのうしろ姿を見るだけでもわかった。


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