第二章 10
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 ヴァンドールはガエリアにいた。《獣》がこの近辺に現れた痕跡は今のところまだ見つかっていないけど、いずれ必ず現れる。あるいは、痕跡を残していないだけでもう近くにいるかもしれない。
「信じてもらえるかな」
 エムクドが、人の流れの向こうにある警備団の詰め所を見る。
「わからない。でも、行くしかないわ」
 心配そうなエムクドと対照的に、カシュラルは意を決した表情だった。
 ヴァンドールを見つけて一夜が明けた。あのあと二人で話し合い、ガエリアの警備団の力を借りることにしたのだ。
 警備団にはガエリアとその周辺の魔物に関する情報が集まってくる。警備団の力を借りる方が、カシュラルとエムクドの二人で聞いて回るよりもはるかに効率がいいし、《獣》がガエリアに現れてやり合うことになった時、カシュラルたちだけで派手に魔術を使えば、何をしているのかと咎められ厄介ごとになりかねない。それに、《獣》の能力を知らない警備団が普通にやりあっても勝てないだろうから、彼らにとってもカシュラルたちと手を組む方がいいはずだ。なにより、近くでギーディスを守れる。
 だけど、エムクドの懸念ももっともだ。魔術を喰うと言っても容易には信じてもらえないだろう。まして、ギーディスの中にはその魔物の核の半分が封印されていると言ったら、頭がおかしいと思われるのが関の山。
 エムクドの手前、わからないと言ったけれど、信じてもらえるという自信はカシュラルにもなかった。頭のおかしい女だと思われても、話すしかない。警備団と協力することができなくても、せめてギーディスには忠告をしなければ。
 警備団の詰め所はガエリアの東西南北に四カ所ある。カシュラルたちがこれから向かうのは、西の詰め所だった。
 ギーディスを見かけた場所からいちばん近くにある詰め所だ。昨日のおかみにギーディスの所属がわかるか尋ねたら、このあたりは第二分団の管轄で、ギーディスもたぶんそこの所属だと教えてくれた。昨日は訊くだけ訊いてろくにお礼も言っていなかったので、今日は客となっていくつかの果物を買った。
 第二分団の詰め所は、東西を貫く目抜き通りの一角、広場の喧噪がかすかに届くところにあった。石造りの二階建てで、建物から生えるように左右に板塀が延びている。一区画分が詰め所の敷地らしい。出入り口の扉や窓の鎧戸も木でできていて、今はすべて開け放たれている。街のざわめきに混じって、板塀の向こうから威勢の良い声が聞こえる。訓練用の広場があるのだろう。
 建物の外観を見回し、カシュラルは短く強く息を吐いた。
「行きましょう」
 エムクドを従え、開け放たれている入り口をくぐった。
 入ってすぐの場所は大広間のようになっていて、大きな机と長椅子があり、カシュラルたちより少し年上の警備団員が三人いた。
「どうしました」
 いちばん近くの団員が立ち上がる。昨日見た一行の中にはいなかった顔だ。
 人当たりの柔らかい口調なのは、警備団が街に治安維持も担う組織で、詰め所には基本的に誰でも入れるからだろう。ノリストラルの警備団もそうだ。
「ここに、ギーディス・カイアークという方はいらっしゃいますか」
 まずは、彼がこの詰め所に所属しているかの確認である。
「いますよ。でも今は巡回に出ていて、当分戻ってきませんよ」
 待ちますか、とその団員は親切にも言ったけれど、カシュラルはいいえと首を振った。
 ギーディスの所属はわかった。でものんびり待ってなどいられない。
「あの、ギーディスの上司にあたる方に会えますか」
「え?」
 ギーディスの名前をいちばんに出したのだから、彼に用事があると普通は思うだろう。カシュラルの言葉に、団員はきょとんとし、それから訝しげに眉をひそめる。
「失礼ですが、あなたのお名前は? いったいどういった用件で、ギーディスの上司に会いたいんですか」
「わたしはカシュラル・サリザ。ノリストラルから来た魔術師です」
「ノリストラルから?」
 警備団員たちがますます怪訝な顔をする。わざわざシュルトバクト国の東の端からいったいどんな用で、と三人とも思ったに違いない。
 応対をしている団員がそれを尋ねようと口を開けた時、奥の扉が開いた。
「――来客、かな?」
 広間にいた三人より一回りほど年かさの男が、カシュラルたちに顔を向けた。柔和な笑みを浮かべている。
「あ……小隊長。あの、小隊長に会いたいって言う人たちが」
 扉のいちばん近くにいた男が、現れた男を小隊長と呼び、カシュラルたちを見やる。
「わたしに?」
「初めまして。わたしはカシュラル・サリザと申します。あなたは、ギーディス・カイアークの上司ですか」
「ルフト・ターサベルクです。ギーディスの友人かな。彼は今は巡回に出ていて――」
「ギーディスのことで、話があるんです。とても大事で、重大な」
 人の話を途中で遮るのは失礼と承知の上で言った。ことの重大性を少しでも伝えるために。
「――ちがう部屋で、聞かせてもらっていいかな」
「いいんですか?」
「ああ、大丈夫だ」
 意外そうな声を上げる若い団員たちに、ルフトは落ち着いた声で応える。
 カシュラルの企みは功を奏した。その時は思ったけれど、それだけが彼を動かしたわけではないと知るのは、このあとすぐだった。

 案内されたのは、ルフトが現れた扉の奥にある小さな部屋だった。ガエリアの警備団は東西南北の四つの分団に分かれていて、それぞれに三つの小隊があるそうだ。カシュラルたちが通された部屋は、小隊長たちが主に会議で使うための小部屋らしい。部屋の大きさに見合った机と椅子が六脚あり、ルフトと机を挟んで向かい合って座った。
 そこで、カシュラルたちは改めて自己紹介をした。
 それから、《獣》と呼ばれる魔物がガエリアに現れ、ギーディスを食い殺そうとすることを話した。ルフトは、ばかなことを、と突っぱねたりはせず、何故それを知っているのかと尋ねた。冷静で、人の話にちゃんと耳を傾ける人のようだ。
「信じられないかもしれませんが――」
 カシュラルはかいつまんでこれまでの経緯を話した。
 カシュラルとギーディスが三百五十年前に実在した魔術師の生まれ変わりであること。
 三百五十年前当時、世を恐怖のどん底にたたき落としていた凶悪な魔物《獣》の核を二つに割り、自分たちの中に封印したこと。
 そのために何度も生まれ変わり、やがてイヴとヴァンドールの記憶を取り戻してしまうこと。
 三百五十年の時を経て《獣》の核は消滅寸前にまで弱っていたこと。
 しかし、ここに来て早く消滅させたいと焦ったカシュラルが封印を解き、《獣》を取り逃がしてしまったこと。
 半分だけ甦った《獣》は、一つに戻るために必ずヴァンドールを襲うこと、それを阻止するためにカシュラルたちはヴァンドールを、目の色を目印に探していて、ギーディスを見つけたこと――。
 かいつまんでも、長い話である。それでもカシュラルは、包み隠さずに話した。ただ、イヴとヴァンドールが恋人関係にあった、というところは伏せて。
 ルフトは、腕組みをしてずっと黙って聞いていた。硬い表情からは、信じてくれたかどうかは判然としない。
「――昨日、ガエリアのすぐ近くで、部下の一人が魔物に殺された」
 重々しく口を開き、ルフトはそれ以上に重い内容を口にした。
 まさか、という確信にも似た予感がカシュラルの胸中をよぎる。
「任務中ではなく、私用でガエリア近郊に村へ行き、そこから戻ってくる途中のことだったんだが……」
 仲間が魔物に殺された悲しみや悔しさが和らぐには早すぎる。それでもルフトは極力冷静でいることに努めているように見えた。
 彼の話によると、ガエリアは温泉を目当てに訪れる旅人とその旅人を当てにした商人が多く訪れる土地柄のため、不穏な噂が立たないように領主からきつく言われているらしい。そのため、警備団は街の治安維持と周辺に出没する魔物や害獣の討伐に力を入れているそうだ。
 最近、ガエリアのすぐ近くで少々厄介な魔物が現れたものの、それはもう退治されていて、それ以外に目立って危険な魔物は確認されていないという。だから、仲間の突然の死は、深い悲しみと共に大きな驚きを警備団にもたらした。戦う術を持つ者を食い殺す魔物がガエリアのすぐそばに現れ、警備団はそれを見過ごしていたのだから。
「ガエリアやその周辺では、ここ数年魔物による死者は出ていない。だから、どんな小さな魔物であろうと見逃さない、我々はそう自負していた。だが今回の一件で、それは傲慢に過ぎなかったと痛感したよ。大きな代償を払ってしまうことになったがね」
 落ち着いていたルフトの表情にひびが入る。眉間に刻まれたしわは深かった。
「――あなたの部下を殺したのは、《獣》かもしれません。わたしたちと《獣》の移動時間は、ほとんど一緒だったから……」
 ガエリア周辺で痕跡が途絶えたけれど、それまでは《獣》の方が少しだけ早かった。
 警備団が見過ごしても無理はない。《獣》は前からガエリアの近くに潜んでいたのではなく、最近になって突然やって来たのだから。
 今まで《獣》は人を襲わなかった。だけど、ガエリアの近くに来て、自分の核の半分がすぐ近くにあると感じて、とうとう人を襲ったのかもしれない。だとしたら、カシュラルのせいだ。カシュラルが封印を解かなければ、その人は殺されることなどなかった。
 ひざの上に置いている手を握りしめ、カシュラルは奥歯を噛みしめる。
「《獣》とやらはギーディスを狙っていると君は言うが、魔物が特定の誰かを狙うというのは信じがたい話だ」
 ルフトが苦々しい顔をしていたのは短い間だけで、すぐにまた冷静な表情に戻っていた。机の上に両肘をついて顎の前で指を組み、カシュラルを見る。
「もっとも、君の話の大半は、にわかには信じられないものだったがね」
「すぐに信じてもらえるとは思っていません」
 エムクドでさえ、カシュラルの話をどこまで信じているのかわからない。生まれ変わりの話とかは、信じてもらわなくても構わない。大事なのはそこではないのだ。
「でも、これだけは信じてください。《獣》は完全な体に戻るため、必ずギーディスを襲います。その前に、力をつけるためにまた誰かを襲う可能性も高いです。そしてもし、ギーディスが喰い殺されて《獣》が完全な復活を遂げたら、もう誰にも止められません」
 カシュラルに、《獣》を封印した時のような力はもうない。エムクドと力を合わせても、『最初』のイブの半分にもならないだろう。宮廷魔術師をはじめ、名だたる魔術師をかき集めてようやく対抗できる。だけどそれだけの人を集めるまでに、どれほどの被害が出るだろう。
「《獣》を絶対に完全復活させてはいけません。それだけは、どうか信じてください」
 カシュラルの言葉の真偽を探るように、ルフトはじっと彼女を見つめた。
「――もし、君の言うことが本当だった場合」
 しばらくの間、指を組んだ姿勢のまま動かなかったルフトが口を開く。
「ギーディスや、それ以外の犠牲者も出るのは時間の問題、ということだね?」
「そうです」
 ルフトはまた黙りこくった。だけど今度は短かった。
「すでにもう、《獣》によると思われる被害は出ている。これ以上の犠牲者を出すわけにはいかない。全面的というわけにはいかないが、君の話を信じよう」
 ルフトはずっとカシュラルの話を聞いてくれていたけど、信じがたい話をするおかしな女を穏便に追い返すために聞いているのではないか、と少し疑っていた。
「ありがとう、ございます……」
 肝心な部分を信じてもらえた。いや、完全には信じていないかもしれない。だけど万が一を考えて信じるというルフトが、ギーディスの上司でよかった。
「こちらこそ、忠告をありがとう。ギーディスには必ず伝える」
 ルフトは探るような目をやめ、表情を和らげる。話はこれで終わりという雰囲気をそこから感じ、カシュラルは慌てて言った。
「わたしたちは忠告に来ただけじゃないんです。《獣》がギーディスを狙うのは、わたしのせいです。だから、差し出がましいようですけど、協力したいんです」
 本音を言えば、自分一人の手で決着をつけたい。だけど、こうするのが大勢のためにはいちばんいいはずだ。
「魔物討伐は警備団の仕事のうちだ。せっかくの申し出はありがたいが――」
「《獣》は、普通の魔物じゃありません。先程も説明した通り、魔術さえ喰らう魔物なんです。でも、わたしは一度は《獣》を核の状態にまで追い詰めて封印したことがあります」
「……今の《獣》はかつてより弱っているという話だったと思うが」
「《獣》は弱くても油断できない魔物で、この世であいつにいちばん詳しいのはわたしです。それに、わたしたちは宮廷魔術師に推薦されている魔術師です。足手まといにはなりません」
 カシュラルは身を乗り出していた。ルフトは、一度和らげた表情をまた険しくする。
「君たちはガエリアの住人ではないが、この街を訪れた旅人だ。警備団は、旅人も守る役目を担っている――そう言って、君はわかってくれるかな」
「《獣》を解き放ったのはわたしです。わたしには責任があります」
 カシュラルは一歩も引かず、さらに身を乗り出した。
「協力し合うのがお互いにとって最善だと思います。でも、協力はいらないと言うのなら、わたしはわたしで《獣》退治のために行動します。《獣》と遭遇して、街中で大きな魔術を使うこともあるかもしれません。場合によっては、この街の結界に手を加えることもあるかもしれません。わたしは《獣》を倒すためならなりふり構っていられないから、必要であれば、やります」
 ほとんど脅しているようなものだ。だけど、半ば本気だった。ルフトは魔術師ではないようだけど、カシュラルが宮廷魔術師に推薦されたと聞けば、結界に手を加えられる可能性が決して現実味のない話ではないとわかるだろう。
 再び長い沈黙が訪れる。カシュラルは身を乗り出したまま、ルフトの答えを待った。
 ここに来た目的の半分、それもより大事な方はもう達成している。協力関係を結べなければ、それはそれであきらめて自分たちで動くしかない。
 おもむろに、エムクドが深く息を吐いた。
「――わかった。君たちの手を借りよう。被害を最小限にとどめるには必要なようだからね」
 ルフトが話のわかる人で本当によかったと思う。普通は、こんな申し出を飲んではくれないだろう。
「ギーディスが狙われているというから、彼と組ませよう」
「いいんですか?」
「ただし、君たちが協力していいのはあくまで《獣》の討伐のみだ。他の魔物に遭遇しても、緊急時以外は手出し無用。いいね? 治安維持に関しては言わずもがなだ」
「寛大なご配慮、感謝します」
「――ギーディスが巡回から戻ってきたら、引き合わせよう」
 それから、とルフトは協力関係を維持する上での注意事項をいくつかあげた。
 今回のことはルフトの独断であるため、この詰め所以外の警備団員には他言しないこと。
 無用な混乱を避けるため、ギーディス以外の団員とは極力接触しないこと。
 やはり無用な混乱を避けるため、他の団員に生まれ変わりなどの話は口にしないこと。よくわからないが《獣》がギーディスを狙っている、ということにすること――。
 それらは必ず守るように言われ、カシュラルとエムクドは二つ返事でこれを承諾した。もとより話したところで、おそらく誰も信じないだろう。
 ギーディスが戻ってくるまでこの部屋で待っているように言われ、仕事があるというルフトは出ていった。
「なんとかうまくいってよかったね」
 ずっと黙っていたエムクドが、両手をあげて大きく伸びをする。カシュラルは背もたれに体を預け、息を吐いた。
 事態は一歩進んだ。でも、恐れていたことがすでに起きてしまっていた。もとよりそのつもりだったけど、沈む気持ちを《獣》を必ず倒すという決意に変える。
 やがて、ギーディスが巡回から戻ってきた、とルフトが部屋へやって来た。
「ギーディスもすぐに来るよ」
 その言葉通り、カシュラルが緊張で身を固くする前に扉を叩く音がした。ルフトがどうぞと応え、扉が開く。
「小隊長。用って――」
 戸口をくぐりながら言った男は、カシュラルの姿を認めて金色の目を丸くする。
 また、しかもここで会うとは思ってもいなかった。そんな表情をしているギーディスを見て、カシュラルの心がわずかにきしむ。
 彼はまだ記憶を取り戻していない。もしかしたら、取り戻さないのかもしれない。
 それでも、カシュラルのやるべきことに変わりはなかった。

〈第二章 了〉

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(C) Nagasaka Danpi 2018