オリジナル小説サイト|夢想叙事|Eve or Vandor 第二章 09
第二章 09
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 西へ。とにかく西へ。
 小さな村でも人里にたどり着くと、金色の目を持つ魔術師がいないか尋ねてまわった。すぐに見つかると楽観的に考えていたわけではないものの、一日経つごとに焦りは募る。
 これまでは、勘を頼りに歩いて行けば必ずヴァンドールを見つけられた。ヴァンドールに引っ張られるように、彼のいる街にイヴの足は向かっていた。でも今は、ほとんど灯りのない道を手探りで進んでいるようなものだ。《獣》の核がないと、これほど大変だとは。自分がこれまでいかに影響を受けていたのか思い知り、カシュラルは身を竦ませた。
 次に訪れる街でも見つからなかったら、焦りが更に募る。そして同時に、ヴァンドールにまだ会えないという切なさで心がきしむ。《獣》は自分の片割れの気配を頼りにヴァンドールに着実に近づいていると思うと、夜も休まず進みたいくらいだ。
「大丈夫、方向は間違っていない」
「ええ……」
 エムクドはそう励ましてくれるけど、カシュラルは沈んだ声しか返せない。
 確かに方向は間違っていない。だけどそれが正しいとわかるのは、《獣》が通った痕跡があるからだった。
 《獣》はまだ力が十分ではないから、結界のない農村で餌を漁っているようだ。聞き込みをした限りでは、襲われた人はまだいない。それは不幸中の幸いだけど、たぶん人を襲うのを避けているのだ。人的被害が出れば農村であっても村人たちが自衛のために警備を厳しくするし、大きな街に近い村であれば、警備団が派遣される可能性もある。
 どうやら《獣》は、人間並みの知恵をつけている。封印前は力は強いけど、知能は他の魔物と大差なかった。だけど、イヴの魂と長くあることで人語を理解したように、知恵も得たのだ。
 むやみやたらに家畜を襲えば足跡を残すも同然というのを理解しているらしい。だけど、何も食べないままでは体力を維持できないから、捕食はどうしても必要になる。
 解放した直後より確実に《獣》は大きくなっている。だけど、知恵がついたために本能のまま食べることもできないでいる。
 今のうちに、なんとしてもしとめなければならない。ヴァンドールに早く会いたいという感情が自分だけのものだったと安心したり、その想いに身を焦がしている場合なんかではなかった。

    ●

 ノリストラルを出て十五日。
 カシュラルたちは、シュルトバクト国の西端の街ガエリアまで来ていた。ノリストラルはシュルトバクトの東の国境に近いから、国をほぼ横断してきたことになる。
 核があった時の感覚からすると、ヴァンドールはシュルトバクトの中にいる。だけど、核があった時は近づくほどにヴァンドールの持つ核の気配を強く感じていたから、自分の進んでいる方角に間違いはないと確信できた。核がなくなり少ない手がかりで進む今、本当にヴァンドールに近づいているのかどうかさえ不安だった。
 ガエリアの西には強酸性の大きな湖が広がっていて、湖の向こうは隣の国。そこに行くには、湖を大きく迂回して北か南の山を越えなければならない。
 たくさんの温泉が湧く街として有名なガエリアは、ノリストラルほどではないけれどそれなりに大きく、街で組織した警備団が治安維持と魔物討伐を担っている。
 制服姿で巡回する警備団員たちに、このあたりに魔物は出るのか尋ねると、
「我々が守っているから大丈夫ですよ。安心して、ゆっくりしていってください」
 にこやかな笑みと共にそう言われた。
 念のため、露天商や街の住人とおぼしき数人に同じことを尋ねてみたが、誰もがここは安全な街だから大丈夫、と答えたのだった。
「街全体がしっかりと結界に守られているから、街中はまあ安全だろうね」
 果汁で味付けした砂糖水を売る少年からも同じ答えをもらったあと、エムクドが肩をすくめた。カシュラルも頷く。
 魔物に関しては、ノリストラルの街中もガエリアと同じように安全だ。大きな街は結界に守られていて、滅多なことでは魔物は侵入できない。ただ、結界の内側は安全でも、外側はそうとは限らない。結界に入れなかった魔物が、その外をうろつき回ることもある。
 しかし今のところ、ガエリア周辺では《獣》はおろか魔物による被害もないらしい。追い越したのか、進む方角を間違えたのか。
 ともかく、これ以上街の人に訊いても手がかりは得られそうにない。次は、ヴァンドールだ。彼の手がかりもなかったら、引き返して《獣》の痕跡を探さなければいけない。
 ガエリアに来たのは昼下がりだったけれど、歩き回っているうちに日はどんどん傾き、西の空の青みが薄くなっている。もうすぐ太陽が赤くなり、空は夕焼けに染まる。泊まる場所を探さなければならないけど、もう少し情報収集したかった。
「エムクド、それでいい?」
「いいよ。宿屋はたくさんありそうだから、日が沈んでからゆっくり探しても、どこか空いてるよ」
 温泉目当ての旅人をあてにした宿屋も多い。宿屋を示す看板はいくつも目についた。
 東の城門からガエリアに入ったカシュラルたちだったが、尋ね歩いているうちに街の中心を過ぎ、西寄りの場所に来ていた。
 東西と南北、それぞれを貫く目抜き通りが交差する広場はほぼ円形で、目抜き通りからあふれたように、広場にも数多くの露店が広がっている。
 広場の入り口近くで果物を山積みにしている露店のおかみが威勢の良い声で売り込むので、カシュラルは足を止めた。
「金の目をした男?」
 客の気を引けたと思っていたであろうおかみは、目をきょとんとさせる。
「はい。両目とも明るい金色の目の人です。わたしと同じくらいの歳だと思うんですけど」
 おかみは、カシュラルのうしろに視線をやった。恋人がいるのに他の男を捜している、とでも思ったのだろう。若い男女が二人で連れ立って旅していると、恋人と勘違いする人は多い。
 おかみはすぐに視線をカシュラルに戻した。
「警備団にそんな男がいるねえ」
「本当ですか!?」
 初めて「知らない」以外の答えが返ってきて、カシュラルの声は自然と高くなる。
「巡回で、店の前をよく通るんだよ。他の警備団員の目の色なんて覚えてないけど、その子だけは変わった色してるから覚えたんだよねえ」
 四十に手が届いてそうなおかみから見たら、カシュラルくらいの年頃は、自分の子供の年齢とそう変わらないのだろう。
「ああ、噂をすれば、ほら」
 おかみが指し示す。カシュラルは弾かれたようにそちらを向いた。
 警備団の制服を纏った男が四人に女が一人、カシュラルたちがいる場所のちょうど向かいから広場へ入ってくる。巡回中らしい五人は、周囲を窺うように視線を巡らせている。
「左端の、いちばん背の高い男。あの子の目が金色だよ」
「……!」
 カシュラルは食い入るように、金色の瞳を持つという男を見た。ここからでは遠すぎて瞳の色はわからない。だけど磨いた銅のような色の髪と、精悍な顔立ちは見て取れる。
 ようやく見つけたという安堵と共に、カシュラルは小さな失望も抱いていた。
 今までは、《獣》の核が己とともにあった時は、ヴァンドールの姿を見れば、それがどんなに遠くても、彼に間違いないと確信できた。たとえうしろ姿だけでも、鼓動は大きく跳ねた。
 だけど今は、まったく確信が持てない。
 彼がヴァンドールかもしれない、と思うことしかできない。もしかしたら彼ではないのかもしれないという不安がある。ようやくカシュラルだけのものとなった彼女の魂は、ヴァンドールを感じ取ってはくれない。
 胸が締めつけられる。うまく呼吸ができていない気がする。《獣》の核の影響の、なんと強かったことか――。
「カシュラル!?」
「ちょっとあんた、大丈夫かい?」
 ただならぬ様子を見て、エムクドとおかみが心配そうに声をかける。それでカシュラルは我に返り、大きく息を吸い込んだ。
「――ありがとう、大丈夫」
 《獣》の核の影響は強かった。核だけにされて、二つに割られていても。
 だけど、カシュラル想いもまた、それに負けないくらい強いのだ。己の感情は己だけのものだったと知り、確信した今、《獣》の影響に疑念を抱き怯えることのなくなった今。何百年時を経ようと、何度転生を繰り返そうと、ヴァンドールへの想いは揺るがない。彼を狂おしく求める心にはもう何の翳りもない。
 ――ヴァンドール。あなたがそばにいないと切なくて寂しくて、胸を掻きむしっていなければ心が潰れてしまいそう。
 自分の感情は優先してはいけない。だけど今だけは、ヴァンドールかもしれない男を見つけた今だけは、どうか大目に見てほしい。
 カシュラルは、誰にともなく許しを求めていた。
 確かめなければならない。彼がヴァンドールの生まれ変わりであることを。
「カシュラル?」
 エムクドの声は、カシュラルの耳を通り抜けた。
 足は自然と広場を通り抜けようとしている警備団の男たちに向かっていた。
 目抜き通りもだったけれど、広場も大勢の人でにぎわっている。呼び込みをする露天商たちの声、通行人たちのにぎやかなおしゃべりの声、どいてくれと大声を上げながら進む荷馬車。
 だけどその喧噪も、カシュラルの耳には入っていなかった。
 周囲にいる大勢の人にことも、目に入っていても認識はしていない。彼女が見ていたのはただ一人だけ。カシュラルの十数歩先を、左から右へ行こうとしている銅色の髪の男。
 向こうを見ていた男が頭を巡らし、カシュラルのいる方へ顔を向ける。視線は、どこか遠くを見ていた。でも、瞳ははっきりと見えた。
 息を飲む。瞳を見た瞬間、涙がこぼれそうになった。 
 男の瞳は、明るい金色だった。生まれたての太陽のような色。イヴをいつでも見守っていた優しい色。
 その色をカシュラルが見間違うはずがない。やはり彼はヴァンドールだ。
 男は正面を向き、カシュラルのすぐ前を通り過ぎていく。カシュラルはその背中を追いかけ、名前を呼んだ。
「ヴァンドール――」
 呼ぶ声は震えていた。ようやく見つけた。やっと出会えた。《獣》の力に頼ることなく、カシュラル自身で、彼をみつけたのだ。
 男がぴたりと足を止め、振り返る。金色の瞳と目が合った。
「ヴァンドール!」
 堪えきれず、カシュラルは彼に抱きついていた。がっしりとした体は、カシュラルが飛びついたくらいではよろめきもしない。こぼれそうだった涙がとうとうあふれ、頬を伝う。
 彼にこうやって触れるのはいったいいつ以来だろう。全身で感じるヴァンドールは、イヴの記憶と同じ温もりを持っていた。
 それなのに――。
「ちょっと待ってくれ」
 困惑した声が上がり、肩をつかまれたかと思うと押し戻された。
「人違いをしてないか?」
「え……?」
 ヴァンドールであるはずの彼は、明らかに困惑していた。
「俺の名はギーディスだ」
 彼は正面からカシュラルを見ている。彼女の銀の瞳が見えていないはずがない。彼はまだ、記憶を取り戻していないのだろうか。
「ヴァンドール、そんな……」
 今まで一度も、こんなことはなかった。カシュラルが記憶を取り戻したのだから、ヴァンドールも取り戻していておかしくないはず。何度生まれ変わっても、ヴァンドールと呼べば彼は応え、ほほえんでくれた。
「俺はギーディス・カイアーク。君は人違いをしている」
 言い含めるように、ゆっくりと、はっきりと告げる。
 カシュラルはただただ呆然とするしかなかった。ヴァンドールに間違いない。なのに彼はまだ、カシュラルを見てもなお、記憶を取り戻さない。
 カシュラルが呆然とするのを、自分の言い分が通じたからだと思ったのかギーディスは「じゃあ」と短く言って仲間の元へ行ってしまった。
 ギーディスが立ち止まったので、一緒にいた仲間たちが数歩先で待っていた。ギーディスが彼らに追いつくと、行こうと促すように同僚の肩を叩いた。
「ギーディス、知り合いじゃないのか?」
「いいや、初めて見る。人違いだったみたいだ」
 ギーディスのはっきりと否定する声が、カシュラルに届く。どうして耳を塞いでおかなかったのだろう。
「ヴァンドール……!」
 闇の中へ突き落とされたようだった。上も下もわからず立っていられなくなって、広場の真ん中にも構わず、カシュラルはその場にへたりこんでいた。
 《獣》の哄笑が頭の中に響きわたる。
 ようやく、カシュラルは自分の愚かさに気がついた。どうしてヴァンドールの言葉を、自分の心を、信じることができなかったのだろう。
 今更そう思ってもとっくに手遅れで、カシュラルは後悔することしかできなかった。
 《獣》の半分は甦り、ヴァンドールは記憶を取り戻さない。
 希望はどこにも見えなかった。
「カシュラル……」
 心配そうな声が降ってくる。エムクドだ。
「彼が言ったみたいに、人違いかもしれないだろ。だから、そんなに……」
 ヴァンドールにばかり気を取られていて気がつかなかったけど、カシュラルが歩き出してすぐに追いかけてきたのだろう。ヴァンドールたちの会話を、エムクドも聞いていたらしい。
「……人違いじゃ、ないわ」
 カシュラルは立ち上がり、土埃を払った。
「でも」
「間違いない。彼がヴァンドールよ。ただ、それを思い出していないだけ」
 何度生まれ変わっても変わらない瞳の色。イヴの銀色も、ヴァンドールの金色も変わってはいない。それを見間違えるはずはない。
「思い出してなくても、構わない。ヴァンドールは見つかったんだから。あとは、《獣》を倒すだけよ」
 カシュラルは目元を乱暴に拭う。
 立ち止まっているわけにはいかなかった。


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