第二章 04
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 出てきた時とは違い、駆け足気味にカシュラルは書庫へ向かった。日が昇り、書庫もすっかり明るくなっている。
「起きて、エムクド。起きて」
「あ……? ん、もう朝なの?」
 体を揺すられたエムクドが、目を擦りながら大きくあくびをする。
「わたし、思い出したのよ.だからもう調べ物はいいわ。ありがとう、手伝ってくれて」
「え? 何、どういうこと?」
 エムクドは困惑した顔だ。半ば興奮状態だったから、カシュラルが急ぎすぎてしまったようだ。隣の書見台に座り一度大きく呼吸する。
「思い出せなかった記憶を、取り戻したの」
 書見台に半分覆い被さっていたエムクドが体を起こす。ついさっきまでの寝ぼけ眼が、醒めた眼に変わった。
「カシュラルがずっと思い出せなかった記憶を思い出せた。そう言ってるの?」
「ええ。ついさっき、思い出したのよ、全部」
「……それは良かった、と言うべきかな。まあ、良かったのか。胸のつかえが取れてすっきりしたし、これ以上調べ物をしなくていいわけだし」
 うんうんと、エムクドは独り言のように言って頷く。彼にしてみれば、昨日一日中休む間も惜しんで、何の関わりもないことを調べまくっていたのに、目が覚めたらもういいと言われたのだから、いまいち釈然としないものはあるだろう。
「それで、どういう記憶だったんだ? やっぱり、生まれ変わる前の記憶だったの?」
 そう言うものの、エムクドはやはり半分は疑っている表情だった。一瞬迷ったけど、手伝ってくれたエムクドには話すべきだろう。それに、言わなければならないこともある。
「ええ、生まれ変わる前の記憶だったわ」
「カシュラル。まさか本当だって言うのか」
「本当よ。信じられないかもしれないけど、わたしはもう数え切れないくらい何度も何度も生まれ変わってきたのよ。わたしは、三百五十年前に生きていた魔術師、イヴ・エミファリラの生まれ変わり――」
 記憶を取り戻したのだから、イヴ本人であるとも言える。
 イヴ・エミファリラは、およそ三百五十年前、現在はシュルトバクト国の北隣の国となっている場所で生まれた魔術師だ。
 ヴァンドール・リューベルは、イヴと同じ時代に彼女とは違う場所で生まれた、やはり魔術師だった。
 違う場所で生まれ育った二人だったけれど、幼いうちから天才魔術師という名をほしいままにしていたのは同じだった。その頃はまだ宮廷魔術師というものはなく、その前身と言えるのが王侯貴族のお抱え魔術師だった。イヴもヴァンドールも、その才能をほしがる貴族たちから何度も声をかけられた。だけど二人とも、魔物退治を専門とする魔術師の道を選んだのだ。
 その頃、国中を荒らす一匹の魔物がいた。
 闇に溶け込み、どこにでも現れる神出鬼没の魔物。獅子よりもふた回りは大きな体躯で俊敏に動き、大きな口の中には太い牙がずらりと並ぶ。次々と家畜を襲い、人を喰らい、穀物の山を飲み込んだ。いつの頃からか《獣》と呼ばれ恐れられるようになったその魔物は、荷車を喰らい、木の柵も喰らい、家の壁を食い破った。かまどを囲う家族も、かまどにかけられた鍋も、かまどそのものも喰らった。
 迫り来る矢などものともせず、向かってくる刃は牙でくわえ、丸飲みにした。剣士では歯が立たないと魔術師が立ち向かったが、《獣》は魔術師の放った炎の魔術も、風でできた刃も、凍てつく氷のつぶても飲み込んだ。《獣》を押し潰そうとする魔術構成をも噛み砕いて飲み下し、魔術師を喰らった。
「じゃあ、本当に、魔術も食べる魔物は存在していたんだ」
「ええ。あの劇は、大げさに言っているわけじゃなかったのよ。でも、魔物を倒した二人の魔術師――わたしとヴァンドールということになるんだけど、それに関しては、ほとんどが作り話だったわね」
 カシュラルは苦笑した。違和感の正体はそれだったのだ。
 《獣》を退治するため、イヴとヴァンドールは、生まれ育った土地を旅立った。旅の途中で二人は出会い、同じ敵に立ち向かう仲間として共闘し、とうとう《獣》を封じ込めるのに成功したのである。
 《獣》の脅威から解放された人々は、イヴとヴァンドールがそれを望んだわけではなかったけれど、二人を英雄と称えた。王侯貴族たちは莫大な報酬と引き替えに、二人をお抱えにしたがった。
 だけど、英雄扱いは長くは続かない。誰に仕えるでもなく、それまでと同じように魔物を退治する二人を、人々はいつしか恐れるようになった。《獣》の次に人々に牙を剥くのは、それを封じ込めた魔術師たちではないのか、と。
 望まないまま英雄に祭り上げられ、引きずり下ろされたイヴとヴァンドールは、やがて魔物ではなく人間相手に戦わざるを得なくなり、ますます追われることになったのである。
 歴史書に、二人は少しだけ登場する。《獣》を倒した功績にはほとんど触れられず、強大な魔力でもって人々を襲った魔術師として。
 あの旅芸人たちは、歴史書からネタを見つけてきたのではなく、吟遊詩人の歌を集めた本かなにかから見つけたのだろう。《獣》を封印した当時でさえ、大胆に脚色して謡う吟遊詩人が数多くいた。
「ここに書いてあるわ」
 積み上げられた古びた歴史書を一冊取って、ぱらぱらとページをめくる。
「……名前は書いてない」
 該当する部分を示すと、エムクドはそう呟いた。
「名前を残すことも許されなかったのよ、わたしとヴァンドールは」
 苦笑するカシュラルを、エムクドは昨日以上に訝しい表情で見ていた。そんな顔をされても仕方ないと思うものの、自分の記憶がもう信じられないとは思わなかった。疑う余地などない。何度も生まれ変わり、そのたびにこうしてある日突然、イヴとして生きてきた記憶を取り戻してきたのだから。
「手伝ってくれてありがとう、エムクド。おかげで、わたしは自分のすべきことを思い出せたわ」
「……どういうことだよ。今カシュラルがすべきことは、選考会の準備することだろう。それ以外に、何があるんだ」
 カシュラルは黙って首を横に振った。彼女のすべきことは、そんなことではない。記憶を取り戻した今、すべきことは一つしかなかった。
「……わたしとヴァンドールは《獣》を倒せなかった。《獣》の核を二つに割って、それぞれの魂で押さえつけることで封印をするのが精一杯だったわ」
 カシュラルは言いながら、人差し指で空中をなぞった。その軌跡が、銀色に輝く糸となって現れる。それを見たエムクドが息を飲むのがわかった。
「わたしは、自分の魔力をこうやって糸状にできるの」
 誰かにこれを見せるのは初めてだった。灯火を作ったり風を起こしたりする魔術とはまったく別種の、しかし魔力による技だ。魔術を組み立てるよりも簡単で、扱いやすい。形は糸状にしかならないけれど、本物の糸のように使うことができ、強度は注ぐ魔力次第でいくらでも自由に変えられ、長さにも制限はない。銀色に輝いて見えているが、魔力のない者には不可視のものだ。
 最初のイヴの時、というのはなんだか奇妙な気もするけど、イヴ・エミファリラとして生まれ、生きていた時に編み出したものだ。これを見たヴァンドールが自分も使ってみたいというので教えたけれど、彼ほどの魔術師でも習得することができなかった。うまく言葉にすることができないコツがあるのだが、どうもカシュラルはそのコツを本能的につかんで使っているらしく、他人にそれを教えることができないのだ。
 理論立てて組み上げることで初めて力を持つ魔術とあまりにかけ離れていて、こんな技を披露すれば異形扱いされるのはわかっていたから、今まで師匠にも見せたことはなかった。ここでエムクドに披露したのは、異形と思われても構わないからだ。もう長くここに留まることはない、だから。
「この魔力の糸で、自分の魂に《獣》の核を結びつけて封印したわ。何重にもきつく糸を巻いた。そのおかげで《獣》は封印できたけど、わたしとヴァンドールは《獣》の核の影響を受けるようになってしまった」
 《獣》の核を封印したままイヴとヴァンドールが生をまっとうすれば、核は消滅すると思っていた。だけどそうはならず、二人は核を封印したままの状態で生まれ変わり、やがてイヴとヴァンドール、それぞれの記憶を取り戻す。
 魔物は核があれば復活できる。その影響を受け、イヴとヴァンドールは何度でも生まれ変わるようになってしまった。
 《獣》の核はイヴたちが生まれ変わるたび、少しずつ弱くなっている。だからきっと消滅するまで、生まれ変わりは続くのだ。
「転生を繰り返すことでしか、《獣》の核を弱らせることができない。だからわたしたちは、何度も何度も、生まれ変わり続けてきた。だいぶ時間はかかったけど、それもあと少しで終わる――」
 今も自分の中に封印されている《獣》の気配は弱々しい。あと一回生まれ変われば、その時にはもう消滅しているかもしれない。
「それなら今すぐに『すべきこと』はないじゃないか。カシュラルが一生を無事に過ごせば、それで終わるんだろう」
 カシュラルの説明に納得していない、エムクドはそんな顔をしている。
 にらむような彼の視線を逃れ、カシュラルは鎧戸で閉ざされた窓を見た。隙間から射し込む光は、彼女が起きた時よりも強くなっている。夜は明けきり、一日がもう始まっている。今日も天気はいいだろう。その空の下のどこかに、きっとヴァンドールはいる。
「……終わらせないと、いけないのよ」
 《獣》の核が消滅しなければ、倒したとは言えない。《獣》は倒さなければならなかった。倒して、確かめないといけないことがあるから。そのためにカシュラルは――イヴは、何度も何度も生まれ変わってきたのだ。
「終わらせるって、カシュラル、どうやって……」
「わたしは、すぐに行かないといけない。ヴァンドールを捜さないと……だから、宮廷魔術師にはなれない。ごめんね、エムクド」
「カシュラル。まさか、死ぬつもりなのか」
「みんなにも、謝っておいて」
 あらかたはもう話し終えた。カシュラルは立ち上がり、足早に書庫を出ようとするが、エムクドが追いかけてきた。
「死ぬつもりなんだな」
 腕を強くつかまれ、引き留められる。話しすぎたと後悔したが、もう遅かった。


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