続・ぼくのサンタクロース

 その小さな島は、海岸の目と鼻の先にあった。島に渡るには舟を使うか、潮が引いたときにだけ現れる道を通るしかない。ただし、島自体が神域であるため、上陸できるのは許された者だけだ。
 ただ、見咎める者のいない夜にこっそりと島に渡り、置きみやげをして行く者が、ごくたまにいた。
「おかあさん」
 鳥居の根元で少年は膝を抱えてつぶやいた。ここでじっとしていなさい、と言った彼の母親はまだ戻ってこない。母親に手を引かれて歩き、彼女一人で戻っていた道は海の下に消えてしまった。
 膝に顔を埋めて泣く声は、寄せる波の音にかき消されて誰にも届かなかった。

    ●

 冬になると雪に閉ざされる北の国々と違い、南方の面影が濃いこの地方では、冬であっても氷が張ることさえ稀だ。
 吐く息が白くけぶるのは朝の早いうちだけのこと。日が、その姿をすべて現せば、たちまち白い息は光の中に溶かされ見えなくなる。
 師走となり、風が吹けば肌寒く感じるようになった。さりとて、凍てつくにはほど遠く、この地にとどまる限りは、それを知ることはないだろう。
 あの子たちが、凍てつく寒さを知る日は来るのだろうか。
 竹ぼうきで掃き清めるのをいったんやめ、権禰宜はかじかんだ手に息を吐きかけた。凍てつかないとはいえ、寒いものは寒い。特に朝は、晴れていても鎮守の杜や建物に遮られて日の届かない場所が多い。
 砂利を踏む音が聞こえ、振り返った。
「一郎太。煤払いの準備はどうなっている?」
「いま、五朗丸と六郎がやっていますよ、宮司殿」
「二人で大丈夫そうか?」
「大丈夫でしょう。六郎ももう十歳ですし、五朗丸がついていますし。それより宮司殿こそ、今宵は大丈夫なのですか」
「なにを。大丈夫に決まっておろう。それより一郎太。おぬしの方こそ大丈夫なのか?」
 目元のしわを少し深くして、宮司が一郎太を見る。
「……毎年思うのですが、わたしが走る必要、ありますか?」
「あるに決まっておろう。さんたくろぉすは赤鼻の鹿が曳くそりに乗ってくるのだぞ」
「ここは雪も降らない地の神社で、赤鼻の鹿もそりも、もとよりありませんが……」
「だから、大八車とおぬしで、その代わりをしているのではないか」
「そもそも、代わりをする必要があるのですか……」
 今日は師走の二十四日。世間ではくりすます前夜で大いに盛り上がっている。なぜ盛り上がるようになったのか、いんたぁねっと上では諸説が入り乱れていて、はっきりとした由来はわからない。
 とりあえず、くりすます前夜は親しい人たちと楽しく過ごし、子供たちは翌朝、さんたくろぉすからの贈り物を受け取るのである。ただし、さんたくろぉすは非実在人物で、子供たちがそれに気付くまで伏せておかなければならない。遙か昔からそういう決まりだという。
「一郎太。五朗丸も六郎も、赤子のうちに神社の前に置いていかれた子たちだ。我々が親代わりを務めているが、ふつうの家庭とはどうしても環境が異なる。せめてくりすますくらい、ふつうの家庭と同じことをしてやりたいではないか」
 宮司は袖の中で腕を組み、たしなめるように言った。
「宮司殿……」
「それに、さんたくろぉすは来ないのかと私に最初に訊いたのは、おぬしであろう」
 宮司はちょっと困った顔で笑った。
「そうでしたかね」
「覚えておらぬか。おぬしが初めてここで師走を過ごした年のことだ」
「その年のことは、ほとんど」
 一郎太は四歳の時、鳥居の根元に置き去りにされた。ここでじっとしていろという母の言葉と、去っていく後ろ姿ははっきりと覚えている。ただ、その頃のことで覚えているのはそれだけだ。
「――私がそんなことを言ったから、宮司殿はずっと、さんたくろぉすを演じられてきたのですね」
「鼻水を垂らして泣いておったからな」
 袖から片腕だけ出して、宮司は顎をかく。顔は明後日の方を向いていた。もしかして、照れているのだろうか。
 痩身の宮司は、厳しい修行の果てなのか元来そうだったのか、少々険しい顔つきをしている。厳しいところもあるので怖い人物と思われがちだ。本人も強面の宮司というつもりでいるようだ。
 見た目通りの人ではないと、一郎太をはじめ、神社で暮らす者は誰でもわかっている。
「しかし、赤鼻の鹿とそりの代わりまでは必要ないと思うのですが」
 一般家庭でも、そこまで用意しているところはないだろう。
「何を言う、一郎太。雰囲気作りは大切であろう」
「作ったところで、六郎は寝てるからわからないでしょう」
「私の気分が盛り上がらないではないか」
「宮司殿の気分ですか……」
 そのために、赤く丸い鼻を付けさせられるのは一郎太だ。そのうえ、さんたくろぉすに扮した宮司を大八車に乗せ、それを曳いて境内を走らなければならないのである。一年で一番の重労働といっても過言ではない。必要ないと言っても、結局やる羽目になる。これは、ぱわはらというものではないだろうか。
「それにな、一郎太。目を覚ました子供に万が一見られても、そうしておけば本物のさんたくろぉすだと思われる」
「……そうですかね」
 一郎太にははなはだ疑問である。六郎は、さんたくろぉすの存在自体、そろそろ疑う年頃なのだ。
「少なくともおぬしは本物と思ったようだぞ?」
 宮司がにやりと笑う。一郎太は、え、と声を上げた。
「それも覚えておらぬか。当時の権禰宜と二人で、ばれてしまったかと肝を冷やしたぞ」
 宮司は快活に笑っていたが、一郎太はほうきにもたれ掛かるようにしてため息をついた。
 自分のしたことが巡り巡ってまた自分に戻ってきたというわけか。というか、その頃から権禰宜は走らされていたのか。
「しかし、まあ、さんたくろぉすと赤鼻の鹿のふりも、そろそろおしまいであろうな」
 しみじみと言いながら遠くを見やる宮司の視線をたどった。五朗丸と六郎が、掃除道具を積んだ大八車を曳いて走って来るのが見える。
「……そうですね」
 去年は五朗丸に置いていかれていた六郎が、今年はちゃんとついてきている。
 赤鼻の鹿のふりも今宵で最後か。
 そう思うと、ほっとする反面、ほんの少しだけ寂しくもあった。


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