お迎えさん/後編

 有音が『お迎えさん』に選ばれたことは集落全体が知りながら、お祭りではないので、これといった盛り上がりはなかった。みなが有音に「よかったね」と嬉しそうに声をかけ、有音も「ありがとう」とやはり同じように返す光景を何度か目にしたくらいだ。有音と紗織と三人で帰ろうとした時、校長に呼び止められたのには驚いたけれど。
「それじゃあ上原さん、元気でね」
 よかったね、ありがとうございます、という短いやりとりの後、校長はそう言って立ち去った。
「元気でねって……遠くに行くわけじゃないのに」
 校長が廊下の角を曲がり、姿が見えなくなってから由亜季は言った。四年前に転校する時、当時の担任に同じことを言われたのを思い出す。
 ああでも、迎えるだけじゃなくて、神様(おそらく)にお迎えもされるという話だったか。それでも、有音が実際にどこかへ行くわけではないのに、おかしなことを言うものだ。
「そう? もう校長先生には会わないからね」
 有音は何でもないように言って、上履きから靴に履き替える。
「もしかして、もうすぐなの?」
「うん。今夜」
「わー、そっか。今夜だったんだ。いよいよだねえ」
 紗織も靴に履き替えて、外へ向かう。
「今夜って……『お迎え』が?」
 ただ由亜季だけが、上履きのまま立ち尽くしていた。
 胸の奥がざわつく。校長や、有音の言葉を反芻する。
 ひっそりと行われる神事のようなものだと思っていた。けれど、もしかして、違うのだろうか。
「そうだよ。だから、学校に来るのも、今日が最後」
 由亜季がついてこないことに気付き、有音が立ち止まる。紗織も、こちらを振り返っていた。
「え……最後って……なに、転校、するわけじゃない、よね?」
 有音が転校する、という話は一度もなかった。学校に来るのが、今日が最後、という話も。けれど、分かっていないのは由亜季だけらしい。有音も紗織も、そんな由亜季を見て首を傾げている。
「転校はしないよ。ただ、『お迎え』されるから、明日からは学校には来ない。それだけだよ」
「え、なんで? 転校しないのに、どうして来ないの」
「どうしてって言われても、『お迎え』されるからだよ」
 むしろ、有音が困惑した表情を浮かべていた。
「なにそれ、意味分かんないよ」
「有音は『お迎え』されて、いなくなるってことだよ」
「いなくなる!?」
「なんていうか、ここじゃないところにお迎えされて、そこで幸せになる感じ?」
 同意を求めるように、紗織が有音を見る。有音は頷いた。だけど、由亜季は少しも納得できない。まったく理解できない。いなくなる? ここじゃないところへ行ってしまう? そんな、馬鹿なことがあるものか。
「だから、由亜季と紗織と一緒に帰るのも、今日が最後」
 有音は微笑んでいた。悲しみは微塵もない。隣にいる紗織も、同じような表情を浮かべていた。
 そんな二人が、由亜季にはまるで知らない人間のように見えた。
 それとも、いつの間にか知らない人と入れ替わってしまったのだろうか。マスクをしているせいで、目元しか見えない。それは由亜季がよく見知っているものだけど、マスクで隠されている部分は、全然知らない人のものかもしれない。
 そんなことを一瞬考えてしまうほど、有音と紗織を遠くに感じた。

    ●

 今夜の何時頃に『お迎え』されるのか、怖くて有音にも紗織にも聞けなかった。両親は今夜とすら知らなかった。きっと、有音が明日にはいなくなることも知らないだろう。由亜季は、それを口にはできなかった。未だに半信半疑だ。
 夕食の後、こっそり家を抜け出した。両親はエアコンのきいたリビングで動画を見るかゲームをするかしている時間帯なので、玄関のドアを開ける程度の物音には気付かない。
 自転車にまたがり、黒森を目指す。昼間は残暑が厳しいが、山間部だけあって夜はずいぶんと過ごしやすくなった。それでもちょっと動けば、汗がにじんできて暑い。
 黒森への道は一本道だが、集落から離れるので、道沿いの街灯はなく真っ暗だった。ガードレールもなく、途中からはアスファルトさえなくなる。自転車のライトだけを頼りに、ペダルを踏み込んだ。
 有音はもうお社にいるだろうか。それとも、まだ家か、向かっている最中か。前にも後ろにも、車のライトは見えない。それとも、歩いて向かうのか――。
 社に続く階段が見えた。車はどこにも止まっていない。自転車を道の端に置き、今度はスマホのライトを頼りに階段を上った。
 暗闇の中に、社はひっそりとあった。数年前に訪れた時とほとんど変わりがないように見える。人気はなく、耳が痛くなるほど静かで暗くて、汗が冷えただけではない寒気を感じた。
 有音は、まだ来ていないのだろうか。
 おそるおそる、社に近付く。よく見ると、小さな扉の隙間からうっすら光が漏れている。中に誰か――有音が、いるのだ。
 そこで、由亜季はふと冷静になった。有音が中にいるようだけど、自分は何をするつもりだったのだろう。社の中に踏み込んで『お迎え』を邪魔するか? してもいいものか? 知らない人のようにも見えてしまったけれど、有音は『お迎え』されるのが嫌そうではなかった。それを、邪魔してもいいのだろうか。
 そもそも、本当に、明日になると有音はいなくなってしまうのだろうか。そんなことを、有音の両親が許すのだろうか。
 改めて考えると、あり得そうにない。五年に一度、この集落では、住人の誰かがいなくなるのを許してきたことになるではないか。
 きっと大昔は、それこそ人身御供みたいなことがあったのだろう。今はそれが形ばかり残っているだけなのだ、きっと。いまどき生贄とか時代錯誤も甚だしい。
 由亜季はふっと息を吐いた。自転車を全力で漕いでここまで来た自分が、滑稽に思える。初めて聞いた集落の風習が、なじみのないもので驚いただけなのだ、結局。
 そっときびすを返し、社に背を向ける。近付いてすらいけないのだから、有音にばれないようにしなければ――。
 抜き足差し足で歩き始めた時、足下に影がさした。背後から強い光に照らされたように。
 有音にばれてしまったのか。驚いて振り返る。しかしその時にはもう、光は消えていた。扉が開いたのかと思ったが、社は先ほどと変わらない。
 では、さっきに強い光は何だったのだろう。帰りかけた足が、自然と社に向いていた。
 ゆっくりと近付き、さっき光が漏れていた隙間を見る。けれど、そこにあるのは暗い隙間だった。有音が明かりを消したのだろうか。
 いけない、やめるべきだと思いつつ、自分を止められなかった。由亜季は、社の扉を開ける。
 がらんとした小さな空間が広がっている。そこに、有音の姿はなかった。見慣れた制服が、着ている人を突然失ったかのように落ちているだけだった。
「……有音?」
 返事はない。スマホから有音にコールすると、制服の小さな山の中から着信音が聞こえた。

〈了〉

コメント

タイトルとURLをコピーしました