春に溶ける

 今でも悔いていることがある。懐に忍ばせている小さな小さな角笛を手にする度、後悔が生まれ、心の中に降り積もる。溶けて消えはしない。
 謝りたくとも謝れない、返したくとも返せない。角笛の持ち主は、一つの地に長く留まることはない人だから。

 かつての年の初め、歳神である牛を連れた、渡りの祈祷一座が村を訪れた。一座にいた同じ年頃の少年と仲良くなり、他愛のないことで喧嘩をして、彼が大事にしていた角笛を奪ってしまった。
 その翌日、一座は村を発ち、角笛を返すことも、謝ることもできないまま。
 一座はあれ以来、村を訪れない。
 子供の頃の些細なことだと忘れてしまえばいいのかもしれない。けれど、今や角笛よりも大きな痼りとなった悔いを、忘れるなどもはやできない。
 今更彼に謝り、角笛を返しても、満足するのは己だけ。
 それでも、彼に会いたかった。

 外から届くいつにないざわめきに、何事かと表に出る。広場に人々が集まっていた。十二年ぶりに、渡りの祈祷一座が村を訪れたのだ。
 歳神である牛を牽く少年に、目を丸くする。十二年前と変わらぬ姿が、そこにあった。
 少年と目が合い、彼が微笑む。
「新しい春を連れてきたよ」
 痼りは、この春に溶けるかもしれない。

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