30.真っ白い

 事務所という名の狭い室内にあるのは、二台ずつ向かい合わせに並ぶ事務机と、壁際に寄せられた三人掛けの古ぼけたソファ、その前にあるローテーブル、雑多のものが詰まっている背の高いキャビネットくらいだ。
 窓もない部屋で、壁の一面はキャビネット、もう一面はソファ、もう一面は一ヶ月分のスケジュールボードが占めている。残り一面は出入り口だ。
 狭いが、事務机の上には積み上げられた書類などはほとんどなく、端末が置き去りにされたように載っているだけであるし、スケジュールボードを埋める予定は少ないので、比較的殺風景だ。これで無人ならば、打ち捨てられた部屋に見えなくもないだろう。
 今は、胸元にオサカベ運送と刺繍された薄い緑色の作業服を着た男が二人、いた。一人はソファの肘置きを枕にしてだらしない格好で眠り、もう一人はソファに背を向けて端末とにらみ合っている。
 今はばっちり勤務時間中であり、休憩中ではないのだが、背後から聞こえるいびきの主を注意する気は湧かなかった。いつものことだし、仕事がないなら寝て体力温存・回復に努める方が現実的だ。
 紙のように薄いキーボードを叩き続けて、たまっていたメールの返信をようやく終えたと思ったところに、新たなメールが飛び込んでくる。またかとうんざりする前にメールを開いた。なにがしかの感情が湧く前に、仕事はとにかく次々と処理するに限る。
 メールを一読し、添付ファイルを開いて中身も確認してから、彼は背後を振り返った。
「天原(あまはら)、起きろ」
 一瞬の後、いびきが止まる。天原は両手を伸ばしてから大きくあくびをして、のっそり起き上がった。
「なんすかぁ? 中村さん」
 一声で起きたのはいいが、完全に寝ぼけ眼だ。中村は、しかしそれを咎めもせずに、黙って端末の画面を指さした。
「仕事だ」
 天原が画面を見やすいよう、中村は椅子に座ったまま横に移動する。天原は頭を掻きながら、画面をのぞき込んだ。文面を読み進めるうち、彼の目が覚めていくのが横顔だけからでも分かる。
「これって、例の?」
 一通り目を通すと、すっかり覚醒した顔を中村に向ける。
「ああ。あの〈青滝〉の調査だ」
 一ヶ月ほど前、辺境の地下都市〈青滝〉が〈無剣〉の襲撃によって壊滅した、らしい。そしてその生き残りが〈広咲〉に転がり込んだ、そうだ。
 そういう噂がどこからか流れてきたが、〈青滝〉と〈広咲〉は交流がほとんどなかったため、噂が本当なのかは分からなかったし、本当だったとしても、壊滅しているなら既に手遅れだ。それに、中村たちの仕事は、危機に瀕しているよその地下都市を守ることでも、〈広咲〉を無人兵器から守ることでもない。
「生存者捜索ってあるけど、なんで俺らが?」
〈広咲〉から出るべきではない情報や物資の保護・回収が、中村たちの仕事だった。天原がやや不満げに言うのも無理はない。
「生存者捜索は単なる建前だ。〈広咲〉にとって使えるものがあるかどうか、〈青滝〉が密かに開発していた何かがないか、調べるのが本当の目的だよ」
「何かって、なんすか?」
「何か、だよ。それを調べに行くんだ」
「漠然っすね……。あるかないかも分からない、あったとしてもどんなものかも分からないものを探すって、めっちゃ大変じゃないっすか」
 早くも天原はうんざりした顔をしている。
「小さな地下都市だから、大それたことなんてやりようがないとは思うがな。ざっと調べて、情報端末を持ち帰れば、後は解析部の連中がどうにかしてくれるだろう」
「小さいって言っても、いつものメンバーだけで行くなら大変じゃないっすか。土地勘だって全然ない場所なんだし、〈無剣〉がまだいたらやばいっすよ」
「残念ながら、いつものメンバーで向かう。だが、〈無剣〉はおそらくいない」
「なんで分かるんすか?」
「空調局の連中が生存者捜索で〈青滝〉に向かって、全員〈無剣〉にやられたそうだ。そしてその〈無剣〉が〈広咲〉近くまでやってきて、破壊された」
「マジっすか。誰がやったんすか?」
 中村は椅子を動かして、机の前に戻る。天原は隣の椅子に座った。
「〈青滝〉の生き残りだよ。〈広咲〉に転がり込んできたという」
 紙のように薄いキーボードを叩いて、ファイルを呼び出す。
 氏名、生年月日、住所、顔写真などが記載された、住民データだ。ふつう第三者は簡単には参照できないが、仕事柄、ここでは簡単にアクセスできる。
「子供じゃないっすか。ていうか〈広咲〉の住民になってるけど、いいんすか」
「〈青滝〉はもうないから、〈広咲〉に住むしかないだろう」
 画面の中からこちらを見つめる少年は、緊張しているものの、ぎこちないながらもわずかに笑みを浮かべていた。こうして見ると、〈無剣〉を倒した強者とは思えない、〈広咲〉のどこにでもいそうな子供だ。
 ただ、その略歴にはほとんど何の記載もない。某日〈青滝〉より移住、とあるだけだ。
「ふぅん。大変っすね」
 天原は背もたれに体重を預け、そう言ったが、言葉ほどの感情はこもっていなかった。
「そうだ。そいつに色々聞けば、少しは調査が楽になるんじゃないっすか?」
「聞けるわけないだろう。俺たちはこれでも極秘組織なんだぞ。それに、こんな子供が、俺たちが知りたいことを知っているわけがない」
「いやー、でも〈無剣〉を倒すような子供なら、もしかして?」
「もしかしてがあったとしても、だめだ」
「オサカベ運送にスカウトしたらいいじゃないっすか。そしたら堂々と聞ける」
「子供をこんな仕事に引き込むのか?」
 中村は顔をしかめ、天原を見る。
「冗談っすよ、冗談」
 天原はへらへらと笑って、椅子から立ち上がった。
「じゃ、こんな仕事の準備してくるっすね」
 ひらひらと手を振って、天原は事務所を出て行った。
 その背中を見送って、中村は溜息を吐いた。口調や態度は軽いが、天原は仕事をきっちりとこなす。冷酷なほど。
 先ほどの天原の発言は本当に冗談だろう。冗談ではなかったら、その方が恐ろしい。
 画面の少年と目が合った。ほとんど何も記載されていない、真っ白い略歴。故郷と共に、彼の公的な過去もなくなってしまったのだ。
 彼は故郷だけでなく、中村よりも遙かに多くの、大事な人をも失ってしまっただろう。
 その人々が、きっと変わり果てた姿で横たわっている場所へ、これから無造作に無遠慮に、利己的な理由でこれから乗り込むのだ。
 少年の視線を遮るようにファイルを閉じて、端末の電源も落とした。
 今更感じるような罪悪感は、中村にはもう残っていない。

〈了〉

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