26.にじむ

「今日の模試、全然だめ。自信ない」
「あたしもだよ~。あと二ヶ月で入試なのに、やばすぎ」
「とりあえず模試終わったし、気分転換にカフェに寄っていかない?」
「いいねえ。あたし、雪パフェ食べたーい」
「ごめん、わたし、パス。今日は帰らないと」
 そう言うと、李里(りり)と基子(もとこ)は示し合わせたかのように、そろって不満げな声を上げた。
「あんた、この前もそう言って帰ったじゃん。たまには付き合いなさいよー」
「そうそう。帰って勉強しようなんて抜け駆け、させないからね」
「違うよ、帰って夕食の支度。今日は――」
 言い掛けたところで、李里があっと大声を上げて遮った。
「そっか、砂上君のところに行って、夕食を作るのか!」
「砂上君て、誰? 違うクラスの人?」
「違う違う、学校の人じゃなくて、ほら、犬飼君が連れてきた、ちょっと暗い人」
 ちょっと暗いとは失礼な。彼は、わたし達高校生に比べると、ずいぶんと落ち着いているだけだ。いや、それよりも、わたしは自分の家に帰って夕食を作るのであって、和樹君のところへ行くわけではない。
「あー、あの人ね。で、なんでここでその砂上君の名前が?」
「あのさ、わたしは家に帰って――」
「この子、砂上君と付き合ってんだよ。知らなかったの?」
「え、そうなの!? 嘘、いつから!?」
 お喋りをしながらの帰り道は、ただでさえ歩くのが遅くなるというのに、今やほとんど立ち止まりそうである。
「いつからだっけ?」
 と、李里がわたしの顔をのぞき込む。誰と付き合っているかとか、クラスのみんなに公にするようなことではないし、親しい友人にも、まだほとんど話していなかった。付き合い始めてまだ日が浅いし、付き合ってますと宣言するのは友人相手でもなんだか気恥ずかしいし、それに何より最近は――和樹君と、あまり会っていなかった。

『今日、学校帰りに寄っていい?』
 昼休みが始まる前に送ったけれど、放課後になっても返事はない。仕事が忙しいのだ。受験生とはいえ、学生とは違う。そう思うことにしている。和樹君は、わたし達が何の考えもなく吸っている空気を地下都市に取り込む、大事な仕事をしているのだ。
 地上にある設備のメンテナンスをしている、というくらいしか知らないけれど。詳しいことは、教えられないらしい。
 今日は食事作りの当番ではないし、和樹君から返事は来ないしで、李里と基子とカフェに寄り道した。
「仕事はともかく、それ以外も教えてくれないなんて、あんたの体が目当て何じゃないの?」
 わたしの話を聞いた基子は、不機嫌かつ心配そうな顔でそう言った。
「砂上君、そういう感じには見えないけど」
「この年頃の男は常に欲求不満だよ。一度許すと、際限ないって」
 基子は妙に実感のこもった言い方だった。三人の中では一番経験豊富なので、李里もわたしも知らないところで何かがあったのかもしれない。
「それで、当の本人はどう感じてるの? やっぱり体目当てにされてる感じ?」
「そんなこと……ないけど」
 別に、和樹君の家に遊びに行ったら、毎度セックスしているわけではない。頻度で言えば、してない方が多い……こともない。いや、している方が多いかも知れないけれど、だからといって和樹君が欲求不満でいても立ってもいられないという性急さはなくて、会話があまり続かなくて、間を取り繕うように体を重ねている、そんな感じだ。
 そう、わたしと過ごす時間を、取り繕っている――改めて彼と過ごす時間を振り返ってみて、わたしは愕然とした。
 和樹君のことを知りたいと思った。どうして〈広咲〉に来たのか、ここへ来る前はどんな街でどうやって暮らしていたのか。地上はどんなところなのか。どうして空調局で働くことを選んだのか――。
 和樹君と付き合ううちに、知らなかった、知りたかった彼のことを少しずつ知って、和樹君という存在がわたしの中でどんどん明確になっていくと思っていた。期待していた。 でも、現実はその逆だ。いくら付き合ってみても、和樹君は言葉を濁して教えてくれない。教えてくれない理由もはぐらかされる。時にはわたしの唇を塞いで、それ以上の質問を封じてしまう。
 そうして、和樹君の温もりばかりがはっきりとわたしの中に刻みつけられ、肝心の彼自身はにじんでいく。
「……どうしたの? 大丈夫?」
 李里がわたしの顔をのぞき込み、すごく心配そうな顔をしている。
「砂上君の家ってどこ? ちょっと話がしたい」
 基子のまなじりはつり上がり、今にもカフェから飛び出していきそうな勢いだった。わたしは目尻ににじむ涙を慌ててこする。
「ごめん、何でもない、大丈夫だよ。勉強しすぎて寝不足で、ちょっとへこんでただけ。だめだね寝不足は。何でもよくない方に考えちゃう。二人も気をつけてよ?」
 自分でもわざとらしいほど明るい声でまくし立てる。立ち上がりかけていた基子は再び腰を下ろすが、まだ怒っている様子だ。
「大丈夫だから、本当に」
「そこまで言うなら、今はそういうことにしておくけど」
 李里が肩をすくめ、冷めかけている紅茶のカップを手に取る。
「何かあったら、いつでも話、聞くからね」
 基子も大きく何度も頷く。
「ありがと、二人とも……」
 今度は別の意味で、涙がにじむ。
 その日、わたしのお茶代は、後から頼んだケーキの分まで、李里と基子がおごってくれた。
 二人のおかげで浮上した気持ちのまま帰宅して、和樹君から返事が届いていたことに気が付く。着信時刻はついさっき。仕事が忙しくて返信が遅くなったことを詫び、しばらくは忙しいので会えないと、再び詫びる内容だった。
 業務連絡のような、素っ気ない内容。和樹君の文面はいつも、こんな調子だ。
 わたしは少しの間考えて、会いたいとか、寂しいとかいう気持ちは文面に乗せず、お仕事頑張ってね、とだけ返す。
 その返事は、いつまで待っても来なかった。

〈了〉

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