25.初雪

 冬が近くなるにつれ、灰色の空はどんどん低くなる気がする。重苦しくて息苦しくて、その上寒くて、憂鬱な気分になる。
 こんな季節を、あの人はどういう気分で乗り越えたのだろう。
 堀川は自分の体を見下ろした。真っ赤な防護服には、極薄型のライトが張り巡らされている。今は点灯させていないが、昼間でも薄暗い今日のような天気なら、遠くからでも目立つはずだ。
 見た目だけなら、すっかり彼と同じである。だけど、技術も経験も、まだまだ彼には遠く及ばない。それらを受け継がないうちに、堀川の前からいなくなってしまった。
 丹野が姿を消してから、二度目の冬が訪れようとしている。

 地上でのメンテナンスから戻ると、今日の分の作業報告書を作成しなければならない。
 デスクに戻った堀川が個人端末を起動させてすぐ、藤原に呼ばれた。話があるという彼女は、会議室に向かう。
 デスクでは話せないような内容なのか、と堀川はいぶかしく思いながら、藤原に続いて会議室に入り、瞠目した。秋元と、課長の加賀美がいたのだ。
 研修中は秋元にはずいぶんと世話になったが、今は彼女とは班が違う。担当している区画も違うので、業務上での関わりは、研修中に比べればぐっと少なくなっていた。課長とは、秋元以上に接点が少ない。
 丹野がいなくなって、班長を引き継いだのが秋元だ。課長の加賀美と、班長である秋元と藤原が会議室で集まるのは普段でもあることだが、何故ここに下っ端である堀川が呼ばれたのか、さっぱり分からない。
「まあ適当に座って」
 藤原はドアを閉めると、一番近い椅子に腰掛けた。長方形に机に椅子は七人分。秋元は藤原のはす向かいに、加賀美は秋元の隣に座っている。堀川は、藤原と同じ側に、一人分空けて座った。
「――今日、警察から連絡があってね。空調局で使っているモバイル端末が、オークションに出品されていたそうだ」
「はあ」
 藤原が持ち込んだ端末を操作する。机上に立体映像が投影され、見慣れたモバイル端末がゆっくりと回転しながら浮かび上がった。防護服に装着して使うものだ。
「製造番号から、うちで使っているものだと突き止めたらしい」
「……盗難品、ということですか?」
 空調局は直接地上と繋がっているため、建物に入るためのセキュリティは比較的厳しい。では、職員の誰かが不法に持ち出し、こっそりオークションに出品したのだろうか。仮にそうだとして、何故、彼女たちがそんな話を堀川にするのか、分からない。
「そう。出品者は盗難品を、そうではないと偽って多数出品していて、それがとうとうばれて警察にしょっぴかれたわけだ。で、証拠品を一個ずつ調べていって、これが間違いなくうちから盗まれたものかと、確認してきたわけ」
 藤原が、立体映像の端末を指さす。
「出品していたのはほとんどが壊れているジャンク品で、この端末も壊れていたそうだけど、警察が修復してデータの一部も復元したから、うちで付けていた管理番号も判明したんだ」
 デスクで使っている個人端末にも、防護服に付けるモバイル端末にも、それぞれ異なる番号を付けて管理している。古くさいな、とは思うが、端末には番号を書いたテープも貼ってある。端末自体に登録もしてあるが、ぱっと見てすぐに分かるからだ。ただ、盗まれたというその端末には、当然ながらそんなテープはなかった。
「……誰の、ものだったんですか」
「丹野のものだった。これは、あいつの防護服に付いていた端末だ」
 堀川は立体映像から顔を上げ、藤原を見た。
「どうして、丹野さんの端末がオークションに? その出品者は、どうやって手に入れたんですか!?」
 堀川の声は図らずも高くなっていた。ならざるを得ない。彼がどこへ行ってしまったのか、その手がかりは何一つ見つかっていなかったのだ。
 どうやってか、丹野は地下に戻ったのだろうか。いや、そんなはずはない。地下にたどり着けたのなら、彼は堀川の前に戻ってくるはずだ。
「丹野さんは、今、どこにいるんですか――」
「……このあたりらしい」
 藤原が端末を操作する。立体映像がモバイル端末から、立体の地形図に切り替わった。近い図の下には、平面の地図も展開されている。
「捕まった出品者は、一人じゃなくて複数だ。違法に地上に出て落ちている様々なものを拾い集め、それをオークションに出品している業者や個人がいるそうだ。この端末を出品した出品者の記憶が曖昧なところもあるけど、話を統合すると、このあたりになる」
 半透明の立体地図の一点に、赤い点が灯る。丹野の防護服の色を思い出して、堀川はわずかに顔をしかめた。
「丹野の持ち物だとはっきり分かっているのはあの端末だけだけど、家宅捜索では壊れた防毒マスクや、空調局のものと思われる備品もいくつか押収されているそうだ」
「……それで、丹野さんは……」
 不法に地上へ出て物をかき集め、盗難品を出品するような連中に、まともな倫理観は期待していない。きっと変わり果てているであろう丹野を見つけたことを届けもしないまま、彼から端末やマスクを奪ったのかと思うと、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「丹野君がいると思われるそこは、周辺にどんな空調設備もないから、どこの支局も近付かない場所だ。行こうと思っても、まあまあ遠い」
 それまで黙っていた加賀美が、口を開く。立場上、彼のところにまずは警察か、もっと上からの連絡が来たのだろう。
「警察は、証拠を固めるために丹野君の遺体を収容したいそうだ。それで、地上に詳しく、丹野君の同僚でもあった我々に捜査協力を要請してきた、というわけだね」
 加賀美は一度言葉を切り、秋元をちらりと見た。
「丹野君のためにも捜査には協力したい。そこで、秋元君と藤原君に相談したところ、堀川君にもこの話はした方がいいということになったんだ」
「危険が伴うから、収容に向かう人数は絞ることになる。警察からは二人来るそうなので、うちからは出すのは多くても三人の予定。わたしが先導役をするから、同行するのはあと二人」
 と、秋元が指を二本立てる。
「わたしは、経験豊富な者が行く方がいいと思うけど――」
 藤原は途中で言葉を切って、秋元を見、それから堀川を見やった。
「丹野さんを迎えに行きたいです」
 堀川ははっきりと言った。
 もう見つからないと、ほとんど諦めていた。見つからないだけで、いつか帰ってくるだろうという淡い期待はとっくの昔に捨てている。
 変わり果てた姿を見るのは、きっとつらい。改めて、丹野の死を、彼を喪失したという事実を突きつけられるのだから。
 それでも、これからますます寒くなる地上に、丹野を置いておきたくなかった。
「そう言うと思ったよ」
 藤原が、ため息混じりに言う。
「……辛いぞ。いいのかい?」
「構いません」
「分かった。行ってきなさい」
「わたしはあまり行かせたくないけど、仕方ないね」
 先ほどよりも大きなため息を吐いて、藤原は立体映像を消した。
「あと一人をどうするかは、秋元君に任せる。警察との連絡も、以後秋元君に任せるよ。堀川君は、必要な道具類の準備を。藤原君、サポートしてあげてくれ」
 加賀美の指示に、三人がそれぞれはいと返事をする。
「なるべく早く丹野君を迎えに行こう。できれば、雪が降り始める前に」

 それから三日後、堀川は秋元ともう一人の同僚、警官二人と共に、地上へ出た。
 灰色の空はいつもにもまして色が濃く、低い。冬用の防護服を着て、中には防寒用の服も着込んでいるのに、寒かった。
「さあ、行こう」
 資材運搬用の装甲車を運転をするのは、同僚の一人。秋元は助手席で道案内だ。
 運搬用なので、エアコン設備はあってないようなものだ。車内であっても、寒い。
 寒いけれど、一人で寒空の下にずっといるであろう丹野のことを思うと、何でもなかった。
 それは決して嬉しい再会ではないけれど、もうすぐ会える。二度と目にすることはないと思っていたあの人に。
 早くも目頭が熱くなりかけ、堀川は慌てて窓の外に顔を向ける。
 灰色の風景の中に、埃のように、うっすら白いものが舞い始めていた。
「雪が――。急ぎましょう」
 助手席の秋元も気付いたようだ。運転手が、装甲車のスピードを上げる。
 雪が覆い隠してしまう前に、彼の元へ。

〈了〉

コメント

タイトルとURLをコピーしました