20.橋の上

 人工太陽はすっかり赤くなっていて、天井の端っこにいた。もうすぐ日が沈む。
 両親は門限にうるさくない方だが、それは事前に帰宅予定時間を伝えていてのこと。ボウリングで盛り上がり、二ゲームで終えるはずが五ゲームもしてしまったので、今は日没前でも、両親に伝えていた時間には間に合いそうにない。帰宅する頃にはすっかり暗くなっているだろう。
 ちょっと遅くなったくらいなら、それほど怒られはするまい。いや、怒られたとしても、今この時間を、何よりも優先したかった。
 今日は久しぶりに、和樹君が来たのだ。仕事が忙しいのかシフトが合わないのか、遊ぼうと誘っても申し訳なさそうに断ることが多かったので、嬉しかった。みんながさりげなく気を使ってくれて、同じレーンでプレイできたし、そのおかげでお喋りしたり、ハイタッチしたりした。
 その上今は、二人きりで歩いている。自分の気持ちにいつから周囲が気付いていたのか、それを考えるとちょっと恥ずかしいのだが、まあともかく、同じ方向に帰る友人は他にもいたけれど、気遣い抜群な友人たちのおかげで、二人きりである。
 ただ、彼らの友情に応えられないのが悲しいほど、会話が弾まない。同じ歳なのに、学生と社会人というだけで、これほど共通の話題に乏しいのかと打ちのめされているところである。よく考えたら、今まで二人きりになることはなく、みんなで盛り上がっている時も和樹君は控えめだったし、わたしは話し下手だ。二人きりになれたからといって、いきなり話が盛り上がり、親密になろうはずもない。悲しい事実を突きつけられただけである。
 それでも、ぽつりぽつり、途切れながらも会話はあった。それもまた、他愛もないもので、和樹君の何かに踏み込めるようなものでもなかったけれど。
「……〈広咲〉は橋が結構多いよね」
 大きな吹き抜けに架けられた、歩行者専用の橋を渡っていると、ふいに和樹君が口を開いた。
「そう? よその地下都市を知らないから、ふつうだと思うけど……」
 吹き抜けは、地下都市内の空気の流れをよくするためにあちこちに設けられている、と聞いたことがある。そのため、数階分を貫く吹き抜けはあちこちにあり、真ん中に橋が架かっているものもある。
「そうなのか」
 隣を歩く和樹君の口調は、休み時間の度に大騒ぎをする男子とは比べものにならないほど小さく、落ち着いていた。知らなかった事実を改めてかみしめるような口調に、鼓動が跳ねる。
 違う地下都市に移住するのはおろか、下の階層へ移住することすら難しい。上への移住は割と簡単らしいけれど、最下層にだって吹き抜けくらいあるだろう。
 吹き抜けの橋を珍しがる彼は、いったいどこからやって来たのだろう。下の階層から? いいや、そんなはずはない。では、違う地下都市から? そんなこと可能なのだろうか。聞いたことがない。
 和樹君は自分のことを話さないし、彼を連れてきた犬飼君も、教えてくれない(知らないだけかもしれないが)。
 わたしはまだ、彼のことを何も知らない。出会ってからもう何ヶ月もたつのに、こうして一緒に歩いているだけでも嬉しいと思える人なのに、何も。
「……和樹君は、どこから来たの?」
 立ち止まったのは、吹き抜けの真ん中あたりだった。橋の上には、わたしたち以外、誰もいない。一歩先で、彼も立ち止まる。
「武利から聞いてないの?」
 肩越しにわたしを見る彼は、意外そうな表情をしていた。
「聞いてない。犬飼君は、聞いても教えてくれないし」
 言ってから、これでは和樹君のことを彼の知らないところで詮索していたみたいではないかと気付く。犬飼君に聞いたのは一度だけなのに。やばい、引かれるかも。
 でも、和樹君はそっか、とあっさり言っただけだった。そして、続ける。
「〈青滝〉っていう、小さな地下都市から来たんだ。二年――三年たつかな、もう」
「あおたき……?」
 地下都市なのだろうが、聞いたことがない。
「〈広咲〉に比べると、すごく小さな地下都市だよ。こんな吹き抜けもなかったから、未だに珍しい」
 そう言って、彼は吹き抜けの底をのぞき込む。吹き上がってくる風が、彼の前髪をもてあそぶ。
 橋にはもちろん柵が設置されていて、すぐ下には万が一落下した場合に備えて頑丈なネットがある。
 それでも、底をのぞき込む姿に、不安を覚えた。そのまま、柵を乗り越えてしまうのではないかと――和樹君の手は、柵にかかってもいないのに。
 その横顔は、いつか広場で見かけた時の彼を彷彿とさせた。ここではないどこか遠くを見ていて、心はここにないような、そんな顔。
 どうして違う地下都市から〈広咲〉に来たのだろう。地下都市を移るなんてこと、滅多にしないものなのに。〈広咲〉から、またどこか違う地下都市へ行ってしまうのだろうか。
 彼を横顔を見ていると、あり得るのではないかという不安をかき立てられる。吹き上げる風に乗って、メンテナンスのために地上に出たまま、二度とここへ戻ってこない日が、来るのではないか――。
「……好きなの」
「え?」
「わたし、和樹君が好きなの」
 自分の言葉で、想いで、彼をつなぎ止められるなんて自惚れたわけではない。でも、今言わなければ、きっと告白する機会はないまま、和樹君はわたしの前からいなくなってしまう。そんな気がしたのだ。
 橋の下からひときわ強い風が吹いて、わたしの前髪をも揺らした。

〈了〉

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