19.残光

 個室のスライド式のドアは全開になっていて、廊下からでも室内が見えるが、ベッドの周囲はカーテンが引かれていた。裾は床に届いていないので、ベッドの脚が見える。人の脚は見えない。見舞い客はなく、看護師の処置中でもないようだ。
 入り口で一度声をかけるが、返事はない。しかし蒼平は、慣れた足取りで病室に入った。
 カーテンの切れ目をそっとめくる。気配を感じたのか、ベッドに横たわっている秋香がゆっくりと目を開けた。
「悪い、起こしたか?」
「……いや、起きてたよ。目をつむってただけ」
 秋香はわずかに笑う。ささやくような声に、力はない。
 蒼平は来客用の椅子を枕元に引き寄せ、腰を下ろした。
〈無剣〉と戦って重傷を負い、一度は失った意識を取り戻したものの、蒼平をもはや必要としない、凛として彼を寄せ付けなかったかつての彼女は、今では見る影もない。
「今日はどうしたの?」
「和樹が採用試験に合格したから、お祝いを言いに」
 昨日、和樹には通知が行っている。本人から、秋香は直接結果を聞いているはずだ。
 蒼平も、昨日、高山から知らされた。
「ありがとう。これから、蒼平達のお世話になるね」
「ああ、俺が指導を担当することになりそうだよ」
「あの子をよろしくね、蒼平……」
「任せてくれ。でも、秋香も早く復帰してくれよ。和樹もそれを望んでいるし、秋香の方が、俺より――色々と優秀だからな」
 枕元の蒼平を見上げていた秋香が、視線を天井に移す。
「……和樹の住民登録をして、養子縁組みをしたんだ」
「ああ」
 それは、先日秋香から聞いているし、和樹からも聞いた。その話をしている間、どこか照れくさそうな顔をしていた少年の顔を思い出す。あの歳にして壮絶な体験をした少年は、嬉しそうだった。それを見て、良かったと蒼平は心底思ったものだ。
 なぜ、今またその話をと蒼平が疑問に思っていると秋香がささやくような声で続ける。
「何もかもを失った和樹のために急いだ方がいいと思ったけど――あの子に残酷なことをしてしまったかもしれないと、今になって思うんだ」
「秋香。それはどういう……」
 意味だと、皆まで言えなかった。彼女の声は、蒼平が聞いたことがないほど弱々しい。
「和樹はもう一度、家族を亡くしてしまうかもしれない……」
「そんなことを言うなよ。怪我が治りきっていないから、弱気になってるだけだ」
 秋香の視線が、天井から蒼平に戻る。口元にはかすかに笑みが浮かんでいた。その表情は穏やかすぎて、却って不安になる。
「そんなこと言うな……」
「和樹を支えてあげてね。こんなこと、蒼平にしか頼めない」
「秋香……」
 本当に、蒼平が和樹を支えられると、思っているのだろうか。それとも信じているのか。蒼平は秋香ほど強くはないし、しっかりと自分自身を支えられている自信もない。彼が辛うじて折れずに立っていられるのは、蒼乃がいて――秋香がいるからだ。
「頼んだよ……」
 消え入るような声だった。蒼平を見つめていた瞳が、瞼の向こうに隠れる。
「秋香?」
 ぎょっとしてのぞき込むと、かすかに呼吸音が聞こえてほっとする。どうやら眠ったらしい。
 蒼平は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「……わかったよ」
 秋香にはたぶん聞こえていないので、今度また見舞いに来た時に、改めてはっきりと言おう。秋香を安心させる、滅多にない機会だ。
 蒼平はそっと立ち上がり、ベッドを取り巻くカーテンの外に出た。
 病室には大きな窓があって、そのカーテンは開け放たれている。地下都市の最上層の天井に映し出された空は赤い。人工太陽は建物の陰に隠れて見えないが、遠くの建物の窓に夕日が当たって光っていた。
 しかし、それもすぐに見えなくなる。
 蒼平は窓のカーテンを閉じると、病室を後にした。

〈了〉

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