02.手紙

 和風の鮮やかな装飾の施された金属製の缶には、元は菓子が入っていた。中身をすべておいしく食べた後、缶を捨てるのがもったいなくて、いつか何かに使えないかと取っておいた。
 その「いつか」は、中身の菓子を一緒に食べた一人娘が、半ば家出同然で独り立ちした後に、訪れた。
 地下都市で最も安全で空気が清浄とされる最下層で生まれ育ちながら、地上に最も近く空気の汚い表層に行きたい、何なら地上へ出てみたい――ごくふつうに育てたつもりなのに、彼女と夫の娘はそう言った。
 人類が地下都市で暮らしているのは、地上で生きていけないからだ。暗く寒く、何より、空気が汚染されている。そんなところへ行って何をするというのか。彼女も、夫も反対した。地上へ近い階層への移住にも、もちろん反対した。
 上層で生まれた人間が、下層へ移住するのは簡単ではない。せっかく最下層で生まれたのに、なぜあえて上へ行きたいと望むのか、彼女には理解できなかった。夫も同じだ。
 だから、娘は出て行った。
 自分を理解しない両親に見切りをつけてしまったのか、と落胆していた頃、届いたのが一枚のはがきだった。このご時世、わざわざ紙の手紙を送るのかと呆れ半分、無事を知らせる手紙を送ってくれたことに喜び半分。
 地上に近付きたいと望んだ娘だからこそ、あえて紙で手紙を送ることを選んだのかもしれなかった。
 限られた紙面につづられる近況は、月に一度、律儀に届いた。少しずつ増えていくそれを保管するため、役目を待ち続けていた菓子の空き箱がとうとう日の目を見たのである。
 娘が出て行ったのを未だに怒っている夫は、はがきが届いても手に取ろうとしない。けれど、空き箱にはがきが保管されているのを夫は知っている。届いたはがきを入れようと箱を開けて、重ねられたはがきの位置が微妙に変わっていることがあるのを、彼女は知っている。
 本当は気になって仕方がないくせに。最近は、特に。
 彼女は苦笑して、届いたばかりのはがきを読み返す。上層で暮らすなんて大丈夫なのかと心配していたが、どうやら元気にしているらしい。最近では、恋人ができたようだ。空調局で働く整備士だとか。
 親にとって子供はいつまでたっても子供だが、いつまでも小さなままではないのだ。
 娘は今のところまだ一度も帰省していないが、いずれ帰省するとき、果たして一人で帰ってくるだろうか。それくらい想像する余裕が、彼女にはできていた。でも、夫はどうだろう。
 一番上に届いたばかりのはがきを置いて、そっとふたを閉めた。

〈了〉

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