挑戦状の理由 第三話01

 初日にいきなり魔物の襲撃を受けたけれど、それ以降の道のりは何事もなくいたって平穏だった。日に日に秋が深まるのと同時に山の奥へと進んでいくのだから、いっそう秋の匂いは濃くなっていた。
 ハナハ峠に向かう道はなだらかな上り坂で、このあたりまで来ると道の両端に林立する木々の葉は、緑色から黄色に変わりつつある。時折聞こえる鳥のさえずりが、のどかな風景に色を添えている。
 塩ばかりを狙う魔物が出る場所とは思えない。だが、異界からやって来るという魔物はそもそもいつどこに現れるのか、よくわかっていない。人の多いところに突然現れることは滅多になく、人気の少ないところを好む傾向ではあるらしい。しかし、かといって人間を避けるのかといえば、そうでもない。先日の魔物のように、人であろうと襲ってくるものもいる。要するに、魔物についてはわからないことばかりなのだ。だから、塩を好む魔物がいてもなんら不思議ではない。
 くだんの魔物は、峠の頂上に辿り着いたまさにそのとき、姿を見せた。

    ◇

 それはもの凄い速さで林の中から飛び出してきた。あっと思ったときには、小さな塊は荷馬車の幌にかぶりついていた。
「魚……?」
 飛び出してきた思わぬ生き物の姿に、エナマーリエは目を見開く。魚と呼ぶのがいちばんふさわしい形状をしていた。反対側が透けて見える薄い翼のような胸ビレを広げ、大きく広がった尾をバタバタと激しく振っている。スラリと細長い体は、角度によって色の変わる鮮やかな鱗で覆われている。だが、あまりにも鮮やかすぎて、かえって毒々しさを感じる。
 魔物に違いなかった。そもそも海も川も池もないような場所で、いや、魚が宙を飛んでいる時点で、それは魚ではない。魚型の魔物は、細長い口の先端で幌を破り、そこから身を捩らせて中へ入ろうとしていた。
 と、その姿が突然エナマーリエの視界から消える。ガランの剣が、魔物を叩き落としていた。
「キルテア、結界を!」
 ハールズの声が響く。思いもよらない姿をした魔物の登場に驚いていたのは、エナマーリエばかりではなかったのだ。キルテアが慌てて縄を取り出し、急いで荷馬車を囲もうとする。だが、それよりも早く、新手が飛び出してきた。
 一斉に浴びせかけられた矢のように、林の中から魔物が飛び出してくる。エナマーリエは剣を抜いて、手近な魔物を切り捨てていく。
「テギ!」
 悲鳴に振り返ると、ガランが御者台に座るテギを引きずり降ろしているところだった。結界が完成しないうちに魔物の襲撃が始まってしまったのだから、少しでもテギの安全を確保するためのことだ。しかし、急いでいるとはいえガランの手つきはずいぶん荒っぽく、引きずり下ろしたテギを荷馬車の下へ押しやった。
「セフリト、馬車の下に潜れ!」
 馬車の後方ではハールズの剣も魔物の体を次々と捕らえていくが、新手はぞくぞくと出てきていた。ハールズに云われたセフリトが馬車の下へ避難する間に、エナマーリエたちの手を逃れた魔物が数体、幌を食い破っていた。飛びかかってくる魔物を避けながら、キルテアがようやく縄で馬車を取り囲む。結界が完成する前に、エナマーリエは自分のいる側の魔物を叩き落としていった。
 魔物はエナマーリエたちや馬車馬には目もくれず、幌に向かっていく。噂の、塩を狙う魔物に違いない。
 キルテアの結界がようやく完成した途端、空中を飛ぶ魔物は見えない壁に弾き返されていった。地面に叩きつけられるものもいれば、林の方へ弾き返され、空中で方向転換して再び突っ込んでくるものもいる。それを倒しているうち、魔物たちがこのままでは埒があかないことに気が付いたらしい。魚が群を作って泳ぐように空中で集まり、ゆっくりとエナマーリエたちを取り囲むように周回しはじめた。
 毒々しい輝きを放つ魔物、しかも魚の姿をしている魔物の集団が周回するさまは、場所が山中ということもあっていっそうおぞましい光景だった。
「エナ。魔術でどうにかできないか?」
 視線は魔物から離さず、ハールズが云った。エナマーリエはちらりとハールズを見たあと、すぐまた魔物の群に視線を戻す。魔物は、エナマーリエの頭より少し高いところを飛んでいる。ガランやハールズの間合いの外、エナマーリエの間合いの二倍以上は外側にいるだろうか。飛び道具といえば、エナマーリエの魔術しかない。
 目の前の集団を吹き飛ばすのはさほど難しいことではない。しかし、集団の一部を吹き飛ばしたところで、生き残っている魔物の数の方が多いから、すぐまた包囲網は繕われる。
「新手がまだまだいるみたいだな」
 ガランが憎々しげに云う。エナマーリエが素早く左右に視線を巡らせた。確かに、林の中から少しずつではあるが、魚の魔物が現れては群の中へ加わっていく。徐々に、群の密度は高くなっていっている。このまま数で押し、じわじわと包囲網を狭めてくる魂胆なのだろう。そして、キルテアの結界の効果がなくなった途端、いっせいに襲いかかるつもりに違いない。
 一度に片を付けるべきだ。だが、どうすればいい。一度に全部の魔物に魔術をぶつけることはできない。エナマーリエのいまの技術では無理だ。
 キルテアの結界の持続時間はそれほど長くない。魔物は増える一方で、早くどうにかしなければ塩を目当てに押し寄せる魔物にやられてしまう。
 ――塩。魔物は、海に棲むものの姿をしていることと関係があるからなのか、塩を狙っている。それを利用して、もしかしたら一気に片を付けることができるかもしれない。
 エナマーリエは魔物の群を睨み付け、牽制したままジリジリと荷馬車の後部へ移動する。キルテアがいるのだ。
「どうした、エナ」
 持ち場を離れたエナマーリエにハールズが怪訝な表情を見せる。いま、荷馬車の前方を守っているのはガラン一人だ。
「キルテアさん。結界を張るための縄は、まだありますか」
「長さなら十分にあるわよ。でも、結界を張るなら少し時間が必要になるわ」
「結界の強度はどこまで強くできますか」
「持続時間を犠牲にすれば、耐魔術・耐衝撃性は上げられるけど……」
 戸惑いを含んだ表情を浮かべながらも、キルテアが答える。
「わかりました。それじゃあ、この中でいちばん足が速い人は?」
「そりゃあ、ガランだな」
 ハールズが云った。
 エナマーリエがとっさに思い付いた作戦だが、なんとかなるかもしれない。あとは――。
「テギさん。塩を少々、使わせてくれませんか」
 荷馬車の下からおずおずと頭だけのぞかせたテギが、わけがわからないという顔でエナマーリエを見上げていた。

〈第三話02に続く〉

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