挑戦状の理由 第二話01

 ダッロはマスゾートの南に位置する山間の小さな町だ。峻険な山々に取り囲まれた盆地で、ダッロと外界を繋ぐ道は、ハナハ峠を通る一本しかない。
 その峠付近に、魔物が出るのだそうだ。昔から棲みついている魔物ではなく、最近――半年ほど前から出没するようになったという。
 話を聞く限りでは、奇妙な魔物だった。その魔物は、どういうわけか『塩』を積んだ荷馬車を好んで襲うのだという。少量の塩を荷の奥深くに隠しても、魔物は敏感に嗅ぎ付けて襲いかかってくる。そのくせ、塩を積んでいない荷馬車にはほとんど見向きもせず、姿さえ見せない。だが、塩を運ぶ馬車は襲われる。
 ダッロに塩を運んでいたのはいくつかの小さな商会だけだ。彼らは、魔物の襲撃を見越して護衛を雇おうにも、十分な護衛を確保できるほどの余力がない。ダッロが小さい町ということで、大きな商会は護衛を雇って塩を運ぶ手間を惜しみ、ダッロにはほとんど塩が入ってこなくなっていた。ダッロにとって不幸なことに、魔物が出るという噂だけが広まっていき、塩を運んでいなければ襲われる心配はほとんどないというのに、ダッロに出入りする商人たちの数まで減っていった。ダッロは深刻な塩不足に加え、ますます困った状況に陥っているのである。
 だが、テギ・コンスキンは塩不足のダッロに目を付けた。魔物の襲撃をくぐり抜けてダッロに塩を届けることができれば、多少高くても――たとえいままでの相場の二倍三倍でも、必ず売れると見込んだのである。
 人当たりのよい人物に見えても、そんなしたたかな考えを持つテギは、やはり商人なのだろう。
 エナマーリエは、御者台に腰掛けて手綱を握っているテギをそれとなく見た。鼻歌でも歌っているのか、口元が微かに動いている。いかにものんきそうなその姿は、したたかな商人からはほど遠い。
 マスゾートのにぎやかな街を抜け、山道に入っていた。空は海の色を写しとったように青く、風がうしろからやって来て一行を追い抜いていく。秋は訪れたばかりだから木々の葉はまだ緑を色濃く留めているが、吹き抜ける風に夏の名残はなく、秋の気配に満たされていた。
 エナマーリエとガランは荷馬車の前方を、ハールズとキルテアが後方を歩いている。セフリトはキルテアとハールズの間にいるはずだ。
 港町で生まれ育ったエナマーリエは、沿岸部から遠く離れた内陸地へ行ったことがない。魔術の修行で一時期マスゾートを離れたことはあるが、修行先も港町だったし、そこでも内陸地へ行く機会はなかった。山らしい山へ入ったこともないエナマーリエにとって、沿岸部よりも秋の訪れが早い山中の風景は物珍しかった。ついつい物珍しくてキョロキョロしていると、馬を挟んで隣を歩いているガランと目が合った。
「遊びに行くんじゃないんだ。余所見ばかりしてないで、しっかり周囲の警戒をしろ」
 口調は平坦だが、物言いは厳しい。仕事に真面目に取り組んでいない姿をガランに見られてしまったエナマーリエは、顔が熱くなるのを感じた。
「そう云うガランこそ、余所見してるじゃない」
 キルテアの茶化すような声がうしろから届く。
「俺の、どこが」
「エナの様子を見てたっていうことは、警戒しないで余所見をしてたということだろう。しっかりしてくれよ、ガラン」
 キルテアに続いて、ハールズも茶化すように云う。キルテアの明るい笑い声が、そのあとに続いた。
「あのなぁ、俺は――」
 ガランが顔をしかめて、振り返る。
 その様子を見ていたエナマーリエは、ガランの向こうに広がる林の中から、視線を感じた。生い茂る葉に身を隠すように、こちらをうかがっている。それも単独ではなく、複数。
「魔物がいます!」
 その声が合図となったかのように、木の上に身を潜めていた魔物が飛び出してきた。
 真っ先にテギの悲鳴が上がる。
 エナマーリエはぎょっとして御者台を見上げたが、彼は無事だった。飛び出してきた魔物に驚いただけらしい。そのことに彼女が安堵している間に、ガランたちはすでにそれぞれに割り当てられた役目を果たすため動き出していた。
 後方にいたキルテアが、束ねた縄を持ち出し、荷馬車を取り囲むよう縄を地面に張り巡らせていく。キルテアの、一見奇妙に見える行動にエナマーリエは気を取られるが、荷馬車をぐるりと一周したキルテアは慣れた手付きで縄を束から切り離して、端と端を結び合わせる。それから、結び目を両手で包み込むと、額に付くように手を持ち上げた。それでようやく、縄を使って即席の結界を張るつもりだということに気が付いた。
 魔術師たちが魔力を練り上げて出現させる魔術は、それが大気中で展開される限り、どれだけ緻密な構成であっても長く持続するものではない。だが、キルテアの縄のように、なんらかの媒体に魔術構成を絡み付かせれば、持続時間は長くなる。魔物の襲撃があるたび、真っ先にテギたちと荷馬車を守るための結界を張るのだろう。
「エナ。縄を切らないように気を付けてね」
 結界を張り終えたキルテアが大声で云う。
 エナマーリエが返事をしようとしたとき、その代わりとばかりに人のものではない、不快な断末魔が上がった。ついで、ねっとりとした血の臭い。林の方へ飛び出したガランのそばに、無惨な骸に姿を変えた魔物が数体、転がっていた。
 魔物は異界からやって来るといわれている。この世の生き物とは思えない異形をしていることが多いのは、そのためだとも。一行に襲いかかってきた魔物も、やはり異形だった。
 一見するとカラスほどの大きさの鳥だが、羽でできた翼の両端には鋭い爪が生え、大きく先端が細いくちばしの表面はいかにもザラザラしていそうで、首はずるりと長い。エナマーリエの二の腕と同じくらい長い首は、体長に見合わない長さで不格好だ。そのうえ、全身は汚らしい深緑色の羽毛で覆われている。あれを鳥と呼ぶのは、この世に生きるすべての鳥たちに申し訳ない。だが、鳥形の魔物と呼ぶしかないのも悲しいが事実である。
 魔物はまだまだ残っている。上を見上げれば、数体の魔物が隙をうかがうように円を描いて飛んでいるし、林の中からは新手が飛び出してくる。
 エナマーリエも遅ればせながら剣を抜き、ちょうど彼女めがけて突っ込んできた魔物を叩き落とす。地に落ちた魔物の翼を踏みつけて動きを封じると、剣を逆手に持ち直してからとどめを刺した。耳に不快な断末魔が上がるが、手がふさがるので耳を塞ぐわけにはいかない。動かなくなった魔物から剣を引き抜いて順手に持ち直す。それとほぼ同時に、飛びかかってきた魔物を体を捻って避ける。翼の先端の爪が、あやうく腕をかすめるところだった。しかし安堵する間もなく、別の魔物がエナマーリエに狙いを定めて突撃してくる。
「この……っ!」
 突っ込んでくる魔物の勢いも利用して、右翼の根元近くに刃を食い込ませる。魔物の悲鳴が上がり、わずかに血しぶきが顔にかかる。エナマーリエはそれに構わず、刃を魔物に食い込ませたまま剣を振り下ろした。魔物が地面に叩きつけられる。だが、今度はとどめを刺す暇もない。頭上高くを飛んでいた一体が、猛然と下降してきていた。
 エナマーリエの剣は片手で扱える分、刀身が短い。彼女自身が小柄なこともあって、間合いも短い。だが、間合いの範囲外に敵がいても、魔術師である彼女の場合さほど問題はない。
 エナマーリエは魔物を睨み据えた。額の中心がわずかに熱くなるのを感じる。
 魔力を持つ者は誰もが、額の中心に『第三の目』を持っている。実際に目があるわけではないのだが、魔力を練り上げて魔術としての構成に仕立て上げるとき、相手の魔術を解析しようと意識を集中させるとき、額の中心に魔力が集約するように感じるので『第三の目』と呼んでいるのだ。
 瞬発力に乏しいという特徴を持つ魔術は、瞬発力が必要となる戦闘に向いているとはいえない。だが、エナマーリエは攻撃系魔術を得意とする術師に師事したおかげで、剣を振り上げるのと同じくらいの速さで、魔術を使うことができる。もっとも、彼女が結界を張ろうとすれば、キルテアよりずっと時間がかかるのだが。
 常人の目には不可視の魔力を瞬時に練り上げ、勢いよく下降してくる魔物めがけてそれを放った。矢のように放たれた魔術が、魔物の胴体を貫いて炎で包み込む。一瞬で消し炭に変わった魔物が、ハールズのそばにぼたりと落ちた。
「やるな、エナ」
 ハールズが感心するような顔で黒こげの魔物を見下ろす。エナマーリエは軽く頷いてそれに応えると、また別の魔物の相手へ向き直った。

〈第二話02に続く〉

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